テレビの政府討論で司会者が、共産党の委員長(志位委員長)に「何で共産党は昔からコテコテの理科系なんですか?」「なんで東大の志位さんは理科系なんですか?」と聞いていました。
私は共産党=マルクス科学的唯物論で理科系なのは大前提だから、「何をいまさら当たり前のことを・・・」と思いました。
しかし意外にもこれを知らないで、「神様なんていない!」「世の中金だ!」「お金という物こそ正義!」「お金儲けだ!」「俺は自由だ!」と唯物論もどきを唱える人が多いようです。
正しく共産主義を知らないで、「神なんていない!」「世の中、カネ!」「科学こそが真理!」とかいう人をみたら、
「どこのアカ(共産主義者)ですか?」
と聞いて理解を促してあげましょう。
自分の主張と、いずれ帰結していくであろう社会的思想への根本的な論理矛盾が起こるので、心理的葛藤を引き起こしているのです。
基本的な思想の図式
資本主義
・有神論(神様はいる)
・「神の見えざる手」で経済は均衡する
・神様中心
・数学(神学)で「点」は「有る」とする立場
共産主義
・無神論(神様はいない)
・科学的唯物論(物しかない。科学的に探求)
・人間中心
・数学(神学)で「点」は「無い」とする立場
というのが基本です。
「ええ!?資本主義は、お金儲けだからお金の「物」が中心じゃないの!?」と思うかもしれませんが、違います。
キリスト教国であるアメリカに代表されるように「神様」が中心なのです。
アダム・スミスの「神の見えざる手」の話に代表されるように、モノの需要と供給は「神の見えざる手」によって均衡して価格が決まるのです。
例え話でもなんでもなく、そう信じられて資本主義は成り立っています。
数学(神学)で「点」の定義
数学で「点」とは、「2つの直線が交わるところで、面積も体積ももたない」という定義です。
「そんなものあるの?」と感じるでしょう。
古来より数学は神学の「神様の存在証明」する手段です。
創造主たる神様は、全知全能なので、すでに未来の全宇宙の予定まで創造して決めています。(予定説といいます。)
古来より「全宇宙の誰が解いても同じ解が出る」という数学は「神の存在証明」の手段です。
なので数学では、一つの解(答え)が決まっていて、それを人間が証明することで「神の存在証明」と「神様との対話」をするのです。
「点」は無いとなると一大事。「神様が存在しない」となります。
ユダヤ教・キリスト教・イスラム教などの同じゴッド(ヤハウェ)を信仰する宗教にとって、神が存在することは大前提なのです。
なので数学(神学)では、
「点が存在しない派」が神様が存在しない派。
「点が存在する派」が神様が存在する派。
があります。(ありました。)
詳しくは前記事で書きました。
世界の全学問の対立図【まとめ】
これが根本で派生していきます。
唯物論を唱えながらお金儲けを言うから矛盾する
精神を病む精神病患者は、基本的には「すべてを壊したい!俺もみんなも死ね!」という破滅的で排他的な思想を持っています。
「この世から消えればいい」「すべては無なのだ・・」というのを「ニヒリズム(虚無主義)」と言います。
その状態のことをアノミー(無秩序・無連帯)といいます。
アノミー状態とは、糸が切れて空中を浮遊する凧に例えられます。
友人・知人・家庭・学校・会社・国・・どこにも属さなくなるので帰属意識がありません。
なので開き直って「無敵の人」となって、自分や他人にひどく攻撃的になります。
ストレスのガス袋が爆発すれば殺人、しぼめば自殺です。
この思想とセットで「唯物論」(マテリアリズム)がやってきます。
しかし多くの日本人の陥る唯物論は、ニセの唯物論です。
「神は死んだ」と言って人間の自立を主張したニーチェのような素晴らしいものではありません。
まだニーチェの思想にアノミーが救われていればマシです。
日本人の場合、
「自己責任!働け!」「神様なんていない!」「世の中金だ!」「お金という物こそ正義!」「お金儲けだ!」「俺は自由だ!」という「拝金主義(マモニズム)」や「唯物論(マテリアリズム)もどき」です。
そんなこと言ってどうするのでしょうか。
馬の頭にニンジンつけて走らせても、目的を見失って自暴自棄に自爆するだけです。
欧米の場合、経済活動する際に「自分は神様から成功が決められている」という信仰があるので、未来へのビジョンへの保証があるのです。
日本の場合、神様の信仰なしに、つまり未来の予定説の信仰なしに、金儲けを言っても、根本で論理矛盾しているので、遅かれ早かれあとで破綻します。
なぜ無神論者・唯物論者はアノミーになるか?
今の学校・大学でも俗に言う理科系に行けばいくほど、明らかに科学崇拝で唯物論(マテリアリズム)な先生・教授が多くなります。
しかも確実にアメリカと同じリベラル・アーツで神を前提(※)とした近代科学(自然科学・社会科学)ではなく、
中国共産党的な、無神論・唯物論の科学”崇拝”なのです。
崩壊したのにやってるので「科学教という宗教だ」つまり「科学崇拝だ」と、私ははっきり書きます。
(※)アイビー・リーグなど世界のトップ校はUniversity:総合大学。語源はuniverse:宇宙、神の宇宙的真理。神学(数学)を基盤に哲学、近代学問(科学)とする。
共産主義、及びそれを薄めた思想である社会主義は、ソ連の崩壊で終わりました。
かつて1960年代の中国では毛沢東率いる中国共産党は「文化大革命」を掲げました。
共産党の科学的唯物論により、非科学的なものはすべて殺しました。
新しいことを言う知識人のみならず、占いや風水的なもの、スピリチュアル的なもの、法輪功を代表するような気功集団から、武術精神も目に見えないから危ないとして少林寺拳法を行う人を「非科学的だ」と徹底的に大虐殺しました。
その数は1億人を超え、ヒトラーもびっくりなほどの歴史的に最高数の大虐殺をしました。
これで中国の発展は半世紀以上遅れたと言われています。
かつて1970年代のカンボジアでポル・ポト率いるクメール・ルージュ政党は「原始共産主義」を掲げました。
階級や格差の全くない原始時代の状態に戻そうとする思想により、知識人だけでなく知識に染まっていない「大人」全員を300万人以上、殺しました。4年間で人口が3分の一に減少しました。生き残ったのは14歳以下の子供のみでした。
有神論の資本主義に対して、共産主義の唯物論では「無」が有るとしなければなりません。
「絶対真空」は存在しなければなりません。
しかし量子力学で、無と信仰されていた絶対真空からふと素粒子が出てきてしまうことが分かりました。
「無」は「有」になってしまうのです。
今では絶対真空を唱える人なんていません。
「無が有るとかワケのわからないことをいうなバカモノ」と批判され終わりました。
年配ならまだ共産革命をしようと自覚してやってる人も多いと思いますが、今は二世代目にも伝染していたりします。
このことに、どれだけの学生が自覚して気付いているかどうか分かりませんが、どうせ無自覚です。
世界の理科系のトップはアメリカのハーバード大学
世界のトップの大学はアイビーリーグ(※)です。
日本の東京大学は100位以下です。
(※)アメリカのトップ8大学「アイビーリーグ」。ブラウン大学、コロンビア大学、コーネル大学、ダートマス大学、ハーバード大学、ペンシルベニア大学、プリンストン大学、イェール大学
・イギリスのオックスフォード大学・ケンブリッジ大学・ダラム大学、ロンドン大学
すべてがリベラル・アーツと呼ばれる「神の存在」を大前提として論理を立てています。
中でもハーバード大学は「理科系の牙城」です。
それでもリベラル・アーツで「神の存在」を前提として止めないのは、止めたら共産主義になってしまうからです。
キリスト教プロテスタントの思想を限りなく薄めて、ギリギリ共産主義にならない程度のユニテリアン思想で「点」の存在(神の存在)を解いてふんばっているのです。
詳しくは前記事
なぜリベラル・アーツ内で大学と工科大学は対立しているか?
なぜ日本の東京大学でさえ100位以下かと言うと、神の存在を大前提とするリベラル・アーツの構造が理解できていないからです。
いわば、まだ小学校で足し算の仕組みを理解していないレベルだからです。
なぜ「悪の科学者」が敵にされていたのか?
よく「科学者は悪者」で登場します。
90年代頃の映画やドラマやアニメでは敵といえば白衣を着た「悪の科学者」でした。
なぜ「悪」で「科学者」かというと、そのイメージが「共産主義者」と重なるからです。
当時は冷戦と言って、アメリカとソ連(ロシア)が対立していました。
資本主義と、共産主義(それに近い社会主義)との対立です。
悪いイメージを敵にすることでプロパガンダしていました。
「点」の存在を否定すると数学(神学)が崩れるのでギリギリ耐えている
キリスト教の中だけでも、
がっつり神の存在を肯定して神との契約一本だけで三位一体(※)も信じないファンダメンタリスト(原理主義者)、
神との契約に自然の創造(摂理=理性=金儲けも可)も加えて二本として、三位一体を信じるカトリック。
(※)三位一体・・父(神)と子(キリスト)と聖霊の3つを信じる。主に問題視されるのは聖霊。
例えば、「奇跡」が起こった場合、三位一体信じない派では「神様の奇跡」とされる。三位一体信じる派では「聖霊」も含まれる。信じない派から見れば神の奇跡以外にされるのは気に食わない。ちばみに聖霊のトップはイタリアのヴァチカンのローマ教皇とされている。
そのカトリックの神の存在を前提に、神様とのタテの契約と、人間同士のヨコの契約まで摂理を説いたプロテスタント。
プロテスタントの中で労働と質素倹約と清貧を重視し、資本主義の精神の原動力ともなったカルヴァン派、
さらに人間中心に成功哲学を解こうとするメソジスト系、ニューノート派、ペンテコステ派、
科学主義が強すぎて「理科系宗教団体」とも言われるニュートンが先駆したユニテリアン派・・
カトリックほど神様への信仰が濃くなっていきますし、プロテスタントほど神様への信仰が薄くなって人間中心になっていきます。
ただそれでも「神様なんていないんだい!」とは言いません。
論理が根底から崩れるからです。
「神学 vs 近代学問」の図~theology vs science~
日本はスピリチュアルを受け入れないと資本主義が成り立たない
日本列島は神様が矛(ほこ)でかき回して出来ました。
これを「国生み神話」といいます。
古事記によると日本列島はイザナギとイザナミが矛で下界をかき回し、引き上げた矛先から潮が滴り落ち、オノコロ島(オノゴロ島:淡路島周辺の島)となりました。
二神は島に降り夫婦になりました。
そして次に淡路島を生み、順に四国、隠岐島、九州、壱岐島、対馬、佐渡島、本州、他の島々を生みました。
この話を「そうだ!その通りだ!」と信じる人が、今どれだけいるでしょうか・・?
「そんなのオカルトじゃん!」と思う人が大半でしょう。
しかし、この神話を全員が本気で受け入れないと、日本で資本主義は機能しないのです。
戦前に欧米列強に対抗して、日本がイギリスに学んで近代資本主義を導入した時代は、天皇を神にして、二宮金次郎(二宮尊徳)をイエス・キリストの象徴として学校に銅像を建てました。
なぜかというと、二宮金次郎の薪を背負いながら貧しい家の出でも勉強して出世する姿を、資本主義の精神の源流であるキリスト教プロテスタント・カルヴァン派のいう、イエス・キリストの質素倹約・清貧の姿と重ね合わせるためです。
それを約束してくれるのは神たる天皇陛下であるという論理でした。
もちろん「国生み神話」も事実として受け入れる必要がありました。
なので戦後にGHQも天皇に「人間宣言」してもらわないといけませんでした。
神様のままではキリスト教に都合が悪いからです。