SNSで「そんなこと発言すると業界でやっていけなくなる!」とまれに聞いたことがあります。
また実際にそう思っている人は多いのではないでしょうか。
芸能人でもないのに、発言やプライベートの垢バレしてやっていけなくなる業界って、なんなんだろう?
と思います。
少なくても科学業界ではないことは確かです。
気にしてるのは自意識過剰なのではと感じます。
「芸能界で音事協を怒られたらどうなるか…。」みたいな謎の忖度です。
10年前にNHKあまちゃんから音事協の虎の尾を踏んで、この世から存在を消された能年玲奈さんでさえ、5年足らずで天皇陛下や警察庁に評価されるレベルで国民的に返り咲いたのに、何を恐れているのか。
「反社会性」と「非社会性」の区別がついてない
自己抑制かけながら他人を批判してしまうのは、自由奔放に振る舞って評価させる人への嫉妬(揚げ足取り)と「反社会性」と「非社会性」の区別がついてないことに起因します。
例えば、暴露発言や政治批判も「非社会行動」。クリエイターが社会にないものを新規に創作するのも「非社会行動」。
対して、暴力や窃盗や恐喝など攻撃的で、権利を侵害するのを「反社会行動」と言います。
この定義をごっちゃにして全て反社会と勘違いすると何もできずに自己束縛して干からびるだけです。
「専門知識」ではなく「専門技術」
評価されるのは「専門知識」ではなく「専門技術」なのです。
例えば、SNSで「非社会的」な言動をしていたとしても問題ないのは、
求めている側は「野球選手が欲しいのであって、野球の知識やルールに詳しい人が欲しいのではない。」からです。
他人の基本的人権を侵すような反社会行動をしていたら問題ですが、主義主張は基本的人権で自由であることが守られているのです。
というか、そもそもそんなことまで評価対象としません。
例えば、大学院の専門知識の習得が無意味というのはその通りです。
大学院で研究しても知識はつくが、それが技術とワンセットでないことが多いからです。
技術がついたとしても最新すぎて社会が受容してジョイントできるのが100年先だったります。
フロー状態になれる技術を
他人に評価されるのは「知識」ではなくそれを扱う「技術」です。
その技術は「フロー状態」(没頭・熱中)できるものでなくては長続きしません。
実体験として、緊急救急や手術でさえ没頭してフロー状態になるので、後から考えれば充実していたなぁと感じるだけで、現実には「今晩は救急搬送来ませんようにオペで呼ばれませんように」と祈ってしまいます。
怖いのは血だらけのひっ迫現場でも慣れが生じてしまい、展開がマンネリ化して飽きが来るのです。
そのため常に「非社会的」な社会からの外れ値を模索して生きていないと刺激から遠ざかってしまうのです。