自閉症スペクトラム症(アスペルガー/ADHD)の自分の世界観とは?

心理学・精神医学

「わがままだ!」「自己中心的だ!」と思う人、言われる人っていますよね?

「自己中心的な自己愛性人格障害(ナルシスト)だ!」と言う前に、発達障害の自閉症スペクトラム症(アスペルガー/ADHD/LD)と区別して見ておく必要があります。

自閉症スペクトラム症(アスペルガー/ADHD)の世界観を図にしました。

通常の「自分」の世界観

・中心の自分があって、外界(人やモノ)を取り入れて調整していく。

・「自分」を「世界」に合わせようとする。調整する。

自閉症スペクトラム症(アスペルガー/ADHD)の世界観

・中心の自分はあるがかなり薄い。「外界(人やモノ)そのものになろう」とする。
・テレビのチャンネルのように、その時々で番組そのものになろうとする。それ以外は見ない。
・中心の自分を束ねる規則的なルールが外界に欲しいので、数字や、時間や、電車などの規則的なものにコミットしやすい。
・独特のルールのこだわりを持つ。社会性の欠け、コミュニケーションの欠けが生じる。

・「世界」を「自分」に合わせようとする。

→結果「わがまま、自己中心的」と言われて葛藤することになる。

例えば、二人で遊びに行って、自閉症スペクトラム症の人は電車の時刻表の時間を見るのにハマってしまい電車に乗り遅れます。
その「外界」に自分があるから、熱中してしまうのです。
その世界を邪魔すると怒ったりします。
「なんて自分勝手なやつなんだ」と周りの人は怒るわけです。
本人にとっては、息をするのと同じくらいの当たり前の感覚で電車の時刻表を見るのにハマっているので、何が自分勝手か分からないのです。

(古典心理学的ですが)「自我」について語る時は、曼荼羅(マンダラ)の例えがよく出ます。
通常は「胎蔵界曼荼羅」で、アスペルガー的な世界観は「金剛界曼荼羅」。
中心(主体)があって周囲と繋がっているか、テレビのチャンネルのリモコンのように中心なく分かれているか。で見ていきます。

心のマンダラ

なぜ自閉症スペクトラムは癒やされるのか?

人間関係の中で、アスペルガーや自閉症、発達障害への事前知識がないと接した人は確実に巻き込まれます。

具体的には、吃音や多弁やチックや自己中心性を見て「きめぇ」といじめてしまったり、いじめたり、
逆に彼らは頭が良い(暗記が得意)ので、上司や先生になって上から自己中心性を発揮されて自分が振り回されます。

しかし一方で、なぜか癒される要素があります。

特に重度の自閉症の人だと性格が純粋で「無垢(むく)」なので、人間本来の純粋さを見たような気がして癒やされるのです。

知的障害者も、知的障害を伴わない自閉症であるアスペルガー(高機能自閉症)も同様に癒される要素があります。

ただそれは事前にそういう人なんだと分かった上でないと、時に彼らの自己中心性と多弁に周囲は巻き込まれます。だから事前知識をつけることが大切です。

自閉症スペクトラム症と自己愛性人格障害の線引き

発達障害の自閉症スペクトラム症は「わがまま、自己中心的」と批判されます。
そのため人格障害の一つ、自己愛性パーソナリティ障害(自己愛性人格障害、ナルシスト)と間違えられることもあります。

アスペルガーが自己愛性との違いは「自分がどう見られるか、ということを気にしているかどうか」という点で見分けると分かりやすいです。

もちろん、発達障害の上に人格障害が乗っかって併発している場合も多いので、アスペルガー:自己愛で8:2とか比率で考えます。

どこまでが自閉症スペクトラムの発達障害で、どこまでが人格障害なのか。
きっかりした線引きは難しいです。

消極的な性格な人もいれば、積極的な性格の人もいます。

周辺の問題として表出しやすいのは往々にして積極的な性格の人の場合です。

消極的な性格の自閉症が、積極的な性格の自閉症に攻撃されている構図もよくあります。他人を攻撃している側面がよく見られる場合は、自己愛性パーソナリティ障害を併発している場合が多いです

アスペルガー症候群と自己愛性人格障害の違いと対処法

カウンセリングでの対処法

例えば一つの作業でも、
一人で黙々とすべてを一人でやり遂げてしまうのが典型的な自閉症スペクトラム(アスペルガー)ですが、
「はいやって!早く!」と他人を操作しようとするのは自己愛性や境界性の人格障害的です。

自分が親にやられて嫌だった、言われて嫌だったことを「再現」します。
嫌だったことと同じことを他人に欲求します。

自閉症スペクトラム症・アスペルガーと関わる場合、

彼・彼女らは常識に囚われていない(勝手に脳内で法則を作り上げて自分を縛る)ので常識を欲求されると困ります。

つまり「アスペルガーと合わない」と言う人はとても常識的だと言えます。

それとは逆にカウンセリングでは「どれだけ常識を脇においていけるか」が大切になります。

深掘りしていくときには「虐待の可能性」「虐待の過覚醒」を考慮します。

怒鳴られやすい環境で育っていれば、「こうなったらこうなる」(例:このスイッチを入れると親は怒る等)と全てに法則を作る習性が根付くのです。

なのでどんどん外の世界がマニュアル化されて自我が成熟せず、性格が離人していきます。

一人の時は落ち着いているのか、普段はどうなのか、親と似たような人がいるとどうなのか、という状況設定を観察しながら関わっていきます。

「社会に出たら通用しない」「常識的に考えて」という言葉はアスペルガーには禁句。
というか中心世界は別にあるので通用しないのです。

ひたすらに疑問を呈することになります。

例えば、アスペルガーの場合、例えば「かわいい」「かっこいい」と言われても嬉しくありません。
自己愛性の場合は喜びますが、アスペルガーの場合は、例えば「目の前のコップがそこに存在している」ことが問題であり、コップの機能などどうでもいいのです。

自分が脳内で先行して「思い描いた絵」の通りに外界が在るかどうかが問題なのです。

「思い描いた絵」で指示を出してしまう発達障害+人格障害

ある事例で「思い描いた絵」で指示を出してしまう発達障害の人がいました。自己愛性人格障害も乗っかっていました。
指示も根拠ないですが、思い描いた通りにならないのに常に腹立を立てているのです。

「そこのあんた!早くエクセルで表作って!役目でしょ!」と初対面の人に言っていました。
基本的には「初めまして。あなたは誰ですか?」と返されて当たり前です。

この独特のこだわりゆえに初対面の人も世界を合わせさせようとする意味の分からなさは発達障害。
勝手に脳内で「~は~すべき」と話を完結させ、それを現実の他人に押し付けてくる感じは自己愛性人格障害です。

アスペルガーの彼・彼女らの中で先行入力された情報は書き変えられることなく、衝動的に他人への欲求へと向かうことがあります。
向けられた方は意味不明であり理不尽と感じます。

更にこの発達障害+人格障害の人は「なんでやらないの!この人なまけてまーす!やる気足りませーん!」と他人を攻撃して公開処刑やっていました。

カウンセラーサイドとしては、
「指示するとどうなるの」
「そういう指示だして周りがついてこれなかったりしたことない?」

「それやるとどんな感じですか?」と侵襲性の低い感じに聞き続けるのです。

カウンセリングの場合は「衝突が多い方がやりやすい」です。

「心の入り口が多い」ので。

昔のこと話始めたら、しめたものです。

徹底的にこの人はなんかのかに聞いていきます。善悪でも悪意でもなく。その人に興味を持つこと。

嫌な空気は敏感にかぎとる、それにも興味もつことです。

一瞬ですぐ壊れる自閉症スペクトラムの世界は死の恐怖を作る

自閉症スペクトラム・アスペルガーのように常識という概念がない人にとって「世の中全部不可解」です。

常に「世界が壊れる前夜」。すぐ壊れます。

毎日が「ムンクの叫び」それがデフォルトなのです。すぐに変わる。
常に世界が亡くなってしまう「死の恐怖」があるからです。

一瞬で壊れる世界。アスペルガーはムンクの叫び(自閉症スペクトラム障害)

新人類は自閉症スペクトラム症を併せ持っている

ここまでの話を聞いて、そういう人いるいる、以外にも自分もそうかも、と思って人もいるかもしれません。

状況に応じてチャンネルを変える、マンダラのような、自閉症スペクトラム障害アスペルガーと似ているのだけども、そうでもないです。
村上春樹の小説に出てきそうな、中心があるようでない。これが新人類です。

実は今の新人類は自閉症スペクトラム症を併せ持っています。

完全な自閉症ではないのですが、自分がありながら擬似的に自閉症のようになります。

これは昔と比べて家族や地域のコミュニティが薄れ、リアルの人間関係が薄くなったので、テレビや漫画やネットの特定の世界観にはまり込むからです。

SNSのTwitterやFacebookやLINEで自分を使い分けたり、アバターで自分を使い分けたりします。
ゲームの中の自分、漫画の中の自分を作り出したりします。
時にそれを現実世界へと持ち込んだりします。最終的に統合しないと自分の中で整合性が取れずに落ち着かないからです。

これは別に悪いことではありません。

しかし中心の自分がないと、すぐバラバラになってしまうので注意が必要というだけです。

この対処法は後述します。

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