社会問題が起きた時に必ずできる派閥図

政治経済・近代学問

地震、火災、津波、病気の疫病、金融恐慌、戦争・・社会が危機的状況で情報が混乱していると必ず自分の意見を持って結束しようと派閥ができます。
単に「賛成派 vs 反対派」ではないです。

以下の通りになります。

賛成派 (問答無用で国に従え派)(一部過激派化)
反・反対派(反対派が嫌い)

建設的提案派

反・賛成派(賛成派が嫌い)
反対派(そもそも問題など存在していない派、全否定派)(一部過激派化)

なぜ過激派は他人を見下すか?

興味深いのは、
賛成派 (問答無用で国に従え派)(一部過激派化)
反対派(そもそも問題など存在していない派、全否定派)(一部過激派化)

この2つは「他人を見下す」「敵を見下す」ことに全力を注ぐ点です。

そして過激になるほど
「そうだ!みんな黙って国(俺)に従えば良いんだ!」
「そうだ!そもそも問題など存在していなかった!」

と思考停止したまま他人を見下せる妄想世界に飛んでいってしまいます。

これに
反・賛成派(賛成派が嫌い)
反・反対派(反対派が嫌い)

という感情だけで流される層が連なります。

これは知識の乏しさと同時に、その劣等感を隠すために感情的になるので、「他人を見下す」という行動に出るためです。

心理学では「仮想的有能感」という根拠のない自信になります。

彼・彼女らは意見の根拠が裏打ちしていないので「予測を外します」。

予測を外して信頼も失うので、次にする行動は「他人を見下す」という「私はアイツよりマシだ」という「他者軽視・見下しのループ」に入ります。

「なぜ私が正しいか?」「それは私がアイツよりも頭がいいからだ!見ろ!アイツは私よりひどいぞ!」と劣等感隠しのために虚勢を張ることに始終してしまうため、また予測を外すという負の循環を生むのです。

(※)
なぜ弱者を見下して攻撃する人は確実に痛い目を見るのか?

大切なのは「建設的な提案があるか?」ということ

どの国でも社会問題が起きた時、国は必ず何らかの対策を取ります。

その対策は100%、絶対に、間違いなく、不十分だと言い切れます。

起こる前からそれは分かります。

なぜなら国は真っ先に既得権益に忖度(そんたく)して得をするようにするからです。
子ども、高齢者、障がい者、病人、パート、アルバイト、非正規雇用などの社会的弱者に対する対応は必ず疎(おろそ)かになるからです。

なので「国が完璧な判断をしている」とする「賛成派 (問答無用で国に従え派)」は最初から絶対に間違いです。
社会問題が起こる前から分かります。

彼・彼女ら「国の判断は正しい!」という人は認知バイアス(※)に引っかかっている可能性が大いにあります。
知識・知恵の乏しさ、思考停止による信頼性のなさが最初から分かります。

大切なのは問題に対して「建設的な提案があるか?」ということです。

「ではどうしたらもっと良くなりますか?」この質問に建設的に答えられなければなりません。

(※)
危機的な状況の時ほど判断を誤る!認知バイアスに注意せよ!

2011年の3.11東日本大震災の時にできた派閥図

2011年の3.11東日本大震災の時、私は混沌と炎上するTwitterを見てこのようなツイートをしました。

その時に作った図が以下です。



原発派(すべて原発再稼働しよう、一部過激派)
原子力派(核分裂は問題だが核融合まで止めるな派)

脱原発派(原発から脱して他の方法を)

反・反原発派(原発派が嫌い)

反原子力派(原子そのものがこの世から消え去れ)
反原発派(原発はこの世から消え去れ)
反福島派(福島はこの世から消え去れ、一部過激派)

当時、個人的に共感できていたのは「原子力派、反・反原発派、脱原発派」の3つまででした。

感情的に過激になればなるほど、科学・合理的な根拠と建設的な提案が乏しくなっていたからです。

しかし感情的に流されてしまう世論

当時「SEALsが嫌いだから原発再稼動賛成」「嫌いだから自民党を支持する」の方が悪質感があって、とても思慮が浅く感じていた。

「過激に言う」ということは、感情を伴うので、必ずどこかでエビデンス(根拠)が大きく抜け落ちているのです。

再稼働派と反原発派の両方に同じ傾向が見られました。

なので中間として建設的な「原子力派」や「脱原発派」が落とし所でしたが、見事に世間はプロパガンダに引っかかって再稼働か反原発かに流れたのです。

私が震災直後から指摘してきた通り、原発推進と反原発は表裏一体でした。原発の再稼働と、反原発での汚染処理・最終処分の利権は一体なのです。
内部の人が、あえて敵側に入り込んで過激に言えば、周囲がシラけて問題が陳腐化するのが狙いでした。
このプロパガンダに気付けた人は少なかったです。

だからこそ「建設的な提案」という視点を忘れないようにしなければならないのです。

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