家ではなく会社に生まれてしまった人は不幸である

心理学・精神医学

家に生まれたと思ったら、会社に生まれてしまった人は不幸である。

家が休まる場所ではなく、親への報告・連絡・相談と、企画・提案・反省・課題・行動記録という謎の監視・管理体制が敷かれて強要されてしまう。

だいたい親が権威主義的であり、同時に強迫性障害のように潔癖なルールで人を操作しようとする。

この「操作」自体、本来は幼児的行動なのだ。

幼少期の「ママー!スプーンとってー!」の名残りである。
この欲求が満たされないと、社会に出てから他人に同じことを欲求する。

相手を幼稚な理由で操作し、従わないと「裏切り者」「言うことを聞かない」などとレッテルを貼りして攻撃してくる。
仮に操作に乗って動いたとしても血眼になって悪い部分のあら探しをする。

自己中心性から来るので「なぜその他人は思い通りに動かないのか?」という質問を、自分に対して客観的にめぐらすなど高度な思考は巡らせたことなど一度もない。

自分が満たされたなかったことを他人に欲求する。
しかし本来その人が戦うべきはその操作を仕掛けた「親」であり、「自分より弱そうな他人」ではない。
自分がやられて嫌だったことを相手に再現しようとしても、偽物の体験。
一生満たされることなどないのである。
だからこの操作行動は「甘え」なのである。

このような強迫性障害の行動は、

強迫性障害で潔癖症のように何度も手洗いしたり、忘れ物確認したり、カギの閉め忘れ確認したり、一人でやっているうちは別にまだ良い。

これを他人に「おい、カギの閉め忘れ見てこい、もう一度だ、もう一度だ、もう一度だ…」と強要しだすと害になる。

家や学校や職場でやるともっと害になる。

幼少期から親の安全基地が薄く基本的信頼感が形成されていないと、その抑圧が不安となって自罰・他罰へと向かうのは定番すぎるコース。

本人がどこかで「親と同じことをしている」と悟らないと遅かれ早かれ自滅してしまう。

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