Twitterで「単位を落とす子は「学力がない」とか「根気がない」とかでなく、友達・先輩・教員に「助けを求めることができない」」という趣旨のツイートが話題になっていました。
近年、単位を落とす子は「学力がない」とか「根気がない」とかでなく、友達・先輩・教員に「助けを求めることができない」子が多いとよく問題になってますね。
— ジロウ (@jiro6663) July 21, 2020
これはほんとうに感じます。「助けて」という意思表示を、適切なタイミングで、適切な言葉遣いで、適切な相手に伝える「技術」を誰も教えてあげない。救援を求めることは債務を負うことじゃないのに。 https://t.co/cKMLP3CRSH
— 内田樹 (@levinassien) July 22, 2020
私はこのことにとても共感します。
生徒・学生が助けを求められないケース
生徒・学生が助けを求められないケースには、いろんなパターンがあります。
・自己肯定感が低いまま、どんどん被害者的になって「誰も私を助けてくれない…」とくすぶり続ける。
・無償の愛が天から舞い降りるまで、口を開けた池の鯉のように餌待ちになってしまう。
・自信のなさから、他人を自分より下げようと見下すことしかできない。
・行動する人たちとの同類・同族化を避けようと、周りと逆のことをする天の邪鬼(あまのじゃく)で露悪して、行動をしないまま底辺を維持してしまう。
彼・彼女らの根底には自分の「発信力の弱さ」があります。
それは自分をプレゼンするような大それたものではありません。
「つらい」と「やめたい」「~したい」と、心の内側を外に出していく力です。
この行動に後ろめたさや、弱点を見せることの悪さや、罪悪感を感じているのです。
内容が良かれ悪かれ、悩みを外に出すことは悪いことではありません。
それを出して良かれ悪かれ共感してくれる仲間が一人でも出てきてくれることが大切なのです。
そもそも教員・先生が理不尽のケース
助けを求めることができなくて単位落とすケースもありますが、
2014年の広島大学医学部の事例(※)のように「問題作る側の能力欠如」で全員単位落とさせて留年させるみたいな理不尽ケースもあります。
そしてこういう系の教員に助けを求めても、他人を見下すことに必死過ぎて論理能力もないので日本語が通じないのです。
よくテストが難しすぎて単位落とす人が多すぎる場合「学生の勉強が足らない」とか「問題傾向が変わるのは仕方ない」とか言う批判する人は絶対に間違いです。
批判する人の方が勉強が足らないです。
テスト作成では難しい問題を作るほうが簡単だからです。
標準問題を作るほうが難しいです。
標準点が採れないのはテスト作成者の方が悪いです。
実際にテスト作る側も、必須分野と標準分野で分けて過去問を分析すれば範囲が広くてもテストは作れるはずです。
統計学では項目応答理論と言います。
それすらも知らずに、難しすぎて多数が落ちるようなテスト作るのは、受ける側ではなく、作る側の勉強不足の怠慢からきます。