一時的に介護から距離を置くことにしました

違う言語で物事を考えているときが楽すぎる
…がこれは言語を理解していないが故に小言や悪口がシャットアウトされているからで。理解した瞬間にしんどくなるのだろうなと。

2023年6月から3ヶ月、介護で父に付きっきりだった。
6月と7月の半ばに一時的に数日だけ回復するも、ほとんど意識もなくベッド上で白目のまま痙攣するだけ。親戚も最期のお別れを言いに来ていた。

1時間に一度のナースコール。「痛いよ」「助けてよ」「少し体を動かして」「起きる」「寝る」「食べさせて」と他愛もないことばかりだったが、もう最期だと思って仕方なかった。
9月に入った瞬間に異様な回復を見せ、ベッド上に座ることができて一部介護になり、通所リハも歩行器で行けるようになった。
このジェットコースターのようなムラが難病のパーキンソン病ならではなのだと思う。
とりあえずは墜落から一時的に低空飛行の安定に入ったと思う。

悔しかったのは、私の予定がほとんど父の介護で潰れたこと。
それを言い訳のようにしている自分に対して。

何をやるにしても行動タスクに父の呼び出し介護が入り込んでくるので、集中力がとても削がれた。
何かをするにしても介護へ意識が向いてしまう。

このまま父の不確定な死を「追う」のがよくないと感じ、低空飛行→安定飛行になったら、自動操縦できるよう、実家から段階的に身を引こうと決めた。

数日間ではあるが、さすがに海外へ行けばスマホのコールも依存しなくなると考えた。
海外旅行では、自分も知らない未知のタスクがスケジュール化して脳内に入り込んでくるので、イレギュラーに呼び出しされる介護のことを考えているよりは気が紛れる。

本当に無目的で、逃げるように格安チケットで韓国へ来てしまったが、自分の思考より行動が先立っているような気がしてとても良い。
脳の操縦桿を父の介護に握られていたのが、今は自分で操縦桿を握っているのが分かる。
この感覚を忘れないようにしたい。

父の病状もある程度、持ち直したので、もう介護から一時的に離れることにする。4日ほど旅行へ。

それを母親に告げた瞬間に、隕石で地球が滅びたような目になり、ため息の連打で失神して泡ふきそう。

母の場合「他人の不幸は蜜の味」「他人の不幸こそ至福のゴール」なので、何か行動を起こそうとしたり、前向きな発表があると、必死に「無理無理無理無理ダメダメダメダメ、何もできないお前にこれから何も出来るわけない」と、話を「おじゃん」の白紙にして不幸な話へ戻そうとする。

なので私はいつも計画は直前に告げる。

母はクリエイティブな行動力で、他人の前向き行動を潰しに来るから。

こんなだから実家にはそう帰りたくなかった。

子どもの頃は家に帰りたくなくて、近所のヤンキーな兄ちゃんの家で遊んでいた。
私の親は私に依存しないで、自分たちである程度は自助してほしい。

私が介入するのは、母の依存体質のせいで、知らぬ間に変な人や保険屋や車屋に便所バエのようにゴマすりして金をみついだり散財したり、不合理な行動を取るからである。

父の介護をしっかりやるのは自分なりの「けじめ」である。