悩みを社会化して構造批判することが大切な理由

「赤報隊事件」旧統一教会・元広報部長が明かす “散弾銃訓練”と “武闘派”
https://smart-flash.jp/sociopolitics/299718/1/1/ 統一教会には、かつてのオウム真理教のような敵対者を『ポア(殺害)する』という発想はありません。
しかし共産勢力と戦う勝共連合の “武闘派” となると武器を持って戦うという軍人精神的な発想

悩みの本質である社会的孤立から逆算すると、
悩みを傾聴して
核である「問題」を
社会化・抽象化することで、
共有化され、共感が生まれ、
孤立が解消されて、解決へ向う。

この過程で公的サービスに対する折衝は避けられないが、それを封殺して抑圧することほど愚かなことはない

悩み相談で、カウンセラー名乗る人が、クライエントの悩みから問題を抽出もせず、社会化もせず、共感と共有できる形に整形させないとしたらマジで何やってんのとしか。

精神科や心理治療でも「問題の社会化」が必須。悩みの中から核の問題を抽出し、抽象度を上げて、他人と共有・共感できる段階へ「薄める」ことで「負担を軽くする」目的。
この作業なしにやると永久に何も解決しない。
重度の人ほど、問題の核の話になると解離・健忘・否認・回避など防衛機制が出る。

日本人が身近な問題を社会化して共有化する抽象思考の過程で、
「日本政府」の政治経済の話になると思考停止する層と、
「国際社会」へ、もう一段、経済規模の大きな話へ拡張させると、稚拙な善悪二元論を展開したりシャッター下ろして思考停止する層が二重にあると、この3年でとても察した。

日本国内の日本人同士での利用規約には重箱の隅をつついてサービス潰すほど死ぬ気で目を光らせている一方、
国際規約にはものすごい思考停止をみせる典型パターンの逆の反例が、国際赤十字ヘルプマークの話題だった気がしました。

国際赤十字団体のヘルプマークを個人で使うなとか、日本より国際募金団体を選ぼうとか、この辺の話には高い国際リテラシーを発揮にするのに、

国際金融が株主の日本カストディや日本マスタートラストの信託銀行や、国際連合敵国条項や、日米地位協定には、一切の無視と沈黙するのがマジで謎なんです。

批判するときに「構造批判」がないと単なる私人批判になる。
問題を「社会化」(一般化)できてないから。周りも共感できない。
インテリ層の人も「自分と関係ない」ので誰も共感してくれなくなる。
「許すか、許さないか」だけの感情的な人だけが釣れてしまって修羅となる。

「他人の悪口や批判はいけない」を「国や社会の悪くを言ってはいけない」と拡張して混同するのが大間違い。抑うつ病の元凶。
個人攻撃が良いという意味ではなく、生活の悩みや不満は「一般化」や「社会化」で変換して他者と共有して薄めなければ、改善されず泣き寝入りして内に溜め込むだけになるから

防衛機制が働いているだけまだ良いけど、この先に、見るな、話すなと抑圧をかけると、どんどん妄想世界で補強していって、その後に現実との整合に限界が来て破綻する。
リアルで共感してくれる人がいればいいけど、その手も自ら封じられてジリ貧。

阪神大震災でも東日本大震災でもそうだけど、本来その話で感情を共感し合わないといけないはずが、
日本人の悪い癖で問題となる話を「社会的に良くない」「空気読め」とタブー化して抑圧するので、個々の問題が社会化されずに、泣き寝入りで内に抱え込み、あとで心理的な病として表出してしまう。

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