なぜカウンセラーの態度の差が生まれるのか?

心理学・精神医学

大前提として「カウンセリングなんて必要ない!」という人は健常です。

例えるなら、病気でもないのに薬を飲むようなもの。
お腹がいっぱいの時に大盛りご飯が追加で出されるようなもの。

満腹状態では必要ありません。

カウンセリングは砂漠で餓死寸前だからこそ、水の一滴がありがたく感じる。
そういう時に必要なものです。

カウンセラーなんて必要ないと言える人は健常~カウンセリングの矛盾~

軽度向きのカウンセラーと重度向きのカウンセラー

精神疾患を見立てる際のフィルター図で言うと、

神経症レベルの軽い症例を得意とするカウンセラーだと比較的フランクでマイルドヤンキー的です。

重い人格障害や精神病レベルを得意とするカウンセラー(希少だが)は朽ちた古代樹や、秘境の即身仏みたいな「これ生きてんのか」的なオーラを出している印象です。

なぜヤンキーと即身仏の差があるのか?

軽い人に対する「マイルドヤンキー」と、重い人に対する「朽ちた古代樹」「秘境の即身仏」との態度の差。

それだけ時間的に蓄積された悩みとストレスの歴史を物語ります。

対応として一人ですぐ使い分けれる人は私もまず会ったことがありません。

やるとしても、事前準備としてカウンセリングモードを前日から作る程になります。

受けたストレス外傷にもよりますが、

10年単位ならマイルドヤンキー的対応でも良いですが、

100年単位になると親の親の親の代とかから心理遺伝的に悪霊を背負ってきています。

周辺人物もその悪霊に感染して当人も逃げ場や救いの場がなかった感覚。

こうなると古代樹や即身仏でないと浄霊できない。そんな感じです。

重度への対応ほど「自分がいかに消せるか」が重要

軽い症例対応だと短期目線でマイルドヤンキー役割として、権威性やハロー効果を利用して助言的にカウンセリングしている人もいます。

しかし重い症例だと「無条件の寄り添いの安心感」を与えるために逆に「自分をいかに消せるか」という方向へ向かいます。

この自己矛盾は両取りすることが困難です。

ヤンキーと即身仏の両取りは難しい

重度の精神病レベルに対応できる優れた心理士や精神科医でさえ、この両取りができたら、カウンセラー側こそ精神分裂、解離性。

実際に精神病に転ばないギリギリでハンドル持ってコントロールできてる人が優れたカウンセラー。

ただ自分を消しているので社会的には評価されにくい。

出会えたら本当に希少です。

例えとして、大日如来(マハーヴァイローチャナ)ではなく「即身仏」とか、宇宙樹(ユグドラシル)ではなく「古代樹」とか、存在が抽象的すぎずに「現実世界で想像できる物」の感覚を持つのが良いです。

「朽ちて」いることも想定できる悠久の時間経過を感じさせるために大切です。

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