この9年後の本能寺の変で細川藤孝は親戚の明智光秀を助けなかった。
織田信長 室町幕府滅亡前 幕府中枢の武将へ送った書状発見 | NHK https://www3.nhk.or.jp/news/html/20240906/k10014574571000.html
「あなたの働きこそ重要だ」「細川藤孝にすがろうとする様子は従来からの“信長像”に再考を迫る内容だ。
1582年の本能寺の変直前の5月14日~17日までに安土にて明智光秀と徳川家康と細川藤孝が謀反の談合していることは吉田兼見の兼見卿記とその削除部分からも分かる。しかも細川藤孝は(本能寺の前後不明だが)、秀吉が備中にいる微妙な時期に心合わせて飛脚を同時に送って光秀を裏切る
特に筒井順慶に流された秀吉のデマである「信長は中国出陣のために安土へ帰った」(多聞院日記)というのは、「信長の真の上洛目的は中国出陣でなく家康討ち」という前提を知ってないと信じないニセ情報なので、これを知っていたのは細川藤孝かその情報を受けた秀吉しかない
信長が家康討伐用のエージェントとして光秀を本能寺で使い捨てにしようとして、
藤孝は信長討伐用のエージェントとして光秀を本能寺で使い捨てにした。
光秀からすれば二重スパイみたいに仕立て上げられて、両手引っ張られてる状態だが、細川藤孝が秀吉利用してハメてくることには気付かなかったと
戦国武将・細川藤孝の書状発見 光秀に配慮、米徴収せず | 2017/9/1 – 共同通信 47NEWS https://this.kiji.is/276190774443132411 織田信長から米の徴収を領内で許可された藤孝が、明智光秀の依頼もあり、東寺(京都市南区)領内の一部では徴収しない旨を伝える内容