見たことない人だと気付きにくいがスピリチュアルは個々でやる分には良いのだけど
複数になると「スピリチュアル・マウント合戦」が行われて「自分のほうが前世が上位」「自分のほうが守護霊が上位」「自分のほうが徳が高い」と不幸自慢と妄想マウント合戦で、外へ責任転嫁していく、これが醜すぎる。
スピリチュアルへハマりすぎる人は、往々に地位や学歴や拝金やニヒリストなど「この世の物欲に執着ありすぎる自己愛性の外道」に攻撃された過去の反動。
「この世にしか興味ない人」に良い性格の人がいるわけないから。これは本当。
逆に「あの世に興味ある人」の方が個別には良い性格で無害性が高い
無害なのにスピリチュアルの何がヤバいか?~この世で魂カースト制を実現する~
無害なのにスピリチュアルの何がヤバいかというと、
死後の世界観で「ヒンドゥー教のカースト制」(徳が高いから上位に転生してる)という徹底した差別主義を持ってるから。
是非は別にして、それを現実で具現化させようとしてくる。
お釈迦様が一番嫌った愚行を平然とやる。
社会構造の中でカースト制をやると
「あの人が上司なのは前世の徳が高かったから」「自分の悲劇は試練だから」など
苦行の肯定と、カルマを気にして犯罪も法的に訴えずに肯定していくから。
支配者の都合よく魂カースト制を固定させ、上に悪をのさばらせ、一向に改善しなくなる。
この世界観で僧侶と貴族が生前室で増税で威張り尽くした中世の時代が嫌われてフランス革命やイギリス革命などが起こって近代化が行われたのだが、これをまた中世の時代へ戻して、人間から自由の人権を奪おうとする。
スピリチュアル嫌いの人は必ず「母親が宗教に奪われている」
逆に「この世にしか興味ない人」で「目に見えない世界は大嫌い」の実存主義者の幼少期の体験談には必ず「母親が宗教に奪われた」がある。
母親が謎の団体にカネをみつぎ育児放棄。母親が自分へ虐待しながら「私は悪くない」と読経や悪魔祓いしようとしたなど。本当にひどい。
「父親が宗教に奪われた」より、「母親が宗教に奪われた」はとにかく予後が悪い。
要するに母親という最初の「共感的な母性」が、宗教の目に見えないカースト制(理想的な父性)に奪われたので、
反動で自分は目に見える「理想的な父性」が強化されて野心家で物欲に溺れる。
カルトの新興宗教のスタートが必ず「母親が娘を拝み倒す」
カルトの新興宗教のスタートが必ず「母親が娘を拝み倒す」所からスタートしやすいのもこれの縮図。
例えば、母親が未熟だと、娘が二次性徴期になると同族嫌悪と行動操作不可能化でいきなり虐待する。
これと逆に、娘(自分の投影)が手に負えず「拝み倒す」ので教祖化してくる
この「母親が娘を拝み倒す」信仰の思いが「成就」しないと
次世代で男子が産まれると「母親が息子を拝み倒す」という典型的なパターンが生まれ、
グレートママン(偉大なる母)を信仰する自己愛性の男が教祖として爆誕して、野心家で悪行の限りを尽くす。
カウンセリングで様々なケースを見てると「自己愛性の人の母親は早死にしてる」のがよく観測される。
正確には「母親が早死にしたから自己愛性になった」
死んでなくても「親と心理的に早期に離別したので、子は自己愛性や境界性になった」これが正しい。