学童保育(放課後子ども教室・放課後児童教室)でひどい事件がありました。
動画では自己紹介がうまくできない女児を支援員が「大きな声で言え」などと叱責し、女児が立ち尽くして泣いているとカウントダウンを始める様子が映っている。SNSに投稿したのは保護者とみられ、女児が小学1年で施設に通い始めた初日だったことから「ひどすぎる」と訴えている。
→「大きな声で言え!」高圧的な支援員に「号泣する女児」の動画拡散、志布志市「学童保育で行き過ぎあった」(弁護士ドットコムニュース)毎日新聞 2021/4/5
https://mainichi.jp/articles/20210405/k00/00m/040/264000c
私はやった加害者は実名で訴えられていいと思います。
「行き過ぎた指導」どころか普通にこれは「犯罪」です。
脅迫罪・強要罪・人権侵害・職権濫用罪・名誉毀損・職権濫用罪です。
今の日本の職場でも横行していることなので、それを学童保育の子どもに対してやるのは見ていて腹立たしくなりました。
学童保育(放課後子ども教室・放課後児童教室)は特に丁重に扱うこと
学童保育(放課後子ども教室・放課後児童教室)とはなにか?
体験したことのない人は知らないかもしれません。
学校が終わった後(放課後)に子どもを世話してくれる施設サービスのことです。
子どもが家の事情で、帰っても親がいなかったり、親の帰りが遅かったり、共働きだったり、親が夜勤をしている場合などに利用されます。
みなさんは保育園や幼稚園や小学校のころ、家に帰ったら「〇〇くんと遊ぼう」という経験はありましたか?
学童保育(放課後子ども教室・放課後児童教室)に通う子どもは友達と遊ぶ約束ができません。
家に帰れないからです。
ただでさえ親と引き離れているのに、さらに友達とも引き離れているのです。
子どもからすればすさまじい孤立感と孤独感です。
その孤立した先で、学童保育の指導員から怒鳴りつけられて、叱られていたとしたら・・最悪です。
親も友人も先生も他人でさえ全員に裏切られたと感じて誰も信用できなくなります。
犯罪や非行や貧困する人の幼少期は「学童保育」の孤立体験がある
将来的に犯罪や非行や貧困する人の幼少期は「学童保育(放課後子ども教室・放課後児童教室)」の孤立体験があります。
詳しくは以下の書籍に書かれているのでおすすめします。
最貧困女子 (幻冬舎新書)
なぜ「貧乏」や「貧困」に陥ったのかというきっかけは、口をそろえて「放課後教室のさびしい思い出」です。
親の虐待や育児放棄や知的発達障害の場合もありますが、
それ以上に幼児期のさびしい体験が原体験となっているのです。
学童保育の何がつらいのか?
具体的には放課後教室にて、親もろくに迎えに来ないのに、
・「勉強しなさい」「年下の面倒みなさい」「年上に従いなさい」と強要される。
・他の子のように「同じ歳の友達」と遊ぶ機会も奪われる。
・「さびしい」「孤独」という体験が強く植えこまれる。
この構図は「放課後教室」も「児童相談所の一時保護所」も全く同じです。
親や同級生からさえも引き離した子どもを、大人がボコボコにタコ殴りにする場所なのです。
二重トラウマを植え付け、人同士の繋がりを奪うことで貧困者の量産へと繋げているのです。
学童保育(放課後子ども教室・放課後児童教室)は必要か?
しかし学童保育(放課後子ども教室・放課後児童教室)がなくなればいいかというとそうではありません。
共働きや夜の帰宅が遅い親の負担を軽くするためにも必要なサービスです。
幼少期に親や友達との離別体験に加えて、害悪な指導者がいると地獄になるのです。
その後の犯罪や非行や貧困問題とワンセットだからです。
学童保育(放課後子ども教室・放課後児童教室)には
1、学童保育指導員(無資格者)
2、放課後児童支援員(有資格者)
の2タイプで務めている人がいます。
無資格者でも優れた人はいるので一概に無資格者が悪いとは言えませんが、有資格者の支援員が中心となって指導していく必要があると感じます。
大切なのは「幼少期の他人とのつながり」
子どもにとって何よりも大切なのは「他人とのつながり」です。
親であればベストではありますが、別に親でなくても良いのです。
兄弟、親戚、近所のおばさん、近所のお兄さんやお姉さん、先生、同級生の友達・・
「信頼できる人」であれば誰でも構いません。
昔であれば家のおじいさんやおばあさん、あるいは近所の人の家に逃げ込むことができました。
今はそれがやりにくい環境になっており、学童保育の中で信頼関係が築けずに逃げられないと後で愛着障害になってしまいます。
放課後教室や一時保護所が今のように刑務所でなく、遊べて、同級生との繋がりの場を築ければそれだけで救われるのです。
子どもが内在化できないと愛着障害になる
内在化(※1)。基本は最初に接する親で行われます。
幼少期に問題なく自然に出来ている人は気づきもしません。
愛着形成の基礎で、スッと取り込めている人、鼻からスイカ入れるくらいのしんどさを感じる人、そもそもロボットみたいな無機物で取り込むものではないと認識している人・・
後者のように実感のない人ほどあとで愛着障害になってしまいます。
知的障害や発達障害があろうとなかろうと、愛着形成はそれより基礎にある重要なものです。
根底に愛着形成の障害があると、その土台の上に性格や人格を乗っけても、
腐って形のない泥のようなスポンジの上に、それっぽい生クリームといちごを乗っけて「ケーキっぽい形容できないなにか」みたいな自己が大人になって出来上がり、凄まじい空虚感に苛まれることになります。
愛着形成できない深刻さ
各々の愛着の根底は言語化して形容できないので、その人それぞれの「感覚的な体験」が源になります。
他人との「つながり」の相互作用で生まれる。基本は家族でも友人でも誰でいいのです。
体験を言語表現できればいいですが、もし離別や孤立や虐待等で母性剥奪されると実感さえもてないのです。
その後にスプリット(分裂)されて境界性や統合失調症のように精神病傾向に至ってしまいます。
つながりが悪くてもまだ、泥っぽい、機械っぽいと〇〇っぽいと形になれば良いほうです。
しかし本当に深刻だとそれすらありません。
喜怒哀楽の何らかの感情が出ていればまだ良い方で、その領域から木で火を起こすように根底の問題にアプローチできます。
しかし乳幼児期から愛着障害が基礎にあると無の真空状態から火を起こすような感覚になります。
非言語的な共有空間から見えない糸を紡ぐような作業になります。
こういった状態を防ぐためにも幼少期の「離別体験」「孤立感」は丁重に扱っていかなければなりません。
(※1)
「内在化」の重要性を知っておこう