なぜ「最先端科学で合理的に解決」しないのか?~局所解の罠~

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発達障害のアスペルガーの症例で特性的な「局所解の罠」


原発が爆発すると、原発の科学はすごい!
レクサスで高齢者が母子をひき殺すと、トヨタの技術すごい!
mRNAワクチンで死亡事例が起こると、ワクチンは人類の叡智!
電動キックボードで事故が起こると、道路交通法の革命!

大体これで会話が成立しない。


問題対象は「運用」の話で、誰も技術の話はしてないのに、リスクマネジメントの環境モデルを捨象して局所だけで「自分だけの世界で」納得してしまう。木を見て森を見ず。
結果「誤った意思決定」をする。

「最先端科学で合理的に解決」は100年以上前から試されてきたことで何も真新しいものではないのだけど、
合理主義を突き詰めると、中央集権の権威全体主義の、排他的な金儲け主義に到達して、結果的に合理的ではなくなる。
人間の情動的な評価関数が介在しないので。

チームみらいの医療や福祉への対応が「トロッコ問題では少数派をひき殺すのが正解」になってる。最先端科学とは…。

「最先端科学で問題解決」は結構だが、リスクマネジメントがないまま合理主義を突き詰めても定義された理論上の「局所解の罠」にハマって
重大事故が発生しても「理論上は問題ないヨシ」と「運用対象」に問題焦点化せず、人権は捨象。行政官僚制下での院政と、権威主義の中抜きを肯定して隠蔽を犯す。

原発やmRNAワクチン。
リスクマネジメントのフレームワークで、爆発事故や死亡事故などの致命的なことが発生したら「重み付け」が変わるので一時中止して環境モデルから見直さないといけない。統計の基礎。

それを「原発やワクチンは科学の叡智なのに!影響は多数決で少ないからOK!」言うのはド低脳

リスクマネジメントのフレームワークでも、リスクマトリクスで発生頻度が低くても影響が長期的な致命的リスクを伴うならば、環境モデルから見直さないといけない。

mRNAワクチンでも原発でも事故は多数決的に見て少ないから良いわけではなく、重大アクシデントが一つでも出た時点でアウト。

散々業務で、軽微なヒヤリハットのインシデント報告を職員への脅迫道具や罰ゲームのようにして積み上げていくわりには、
インシデントを超えた「重大アクシデント」が出ても「そんなものはない」して隠蔽する結果、問題根本が改善されない。そのままインシデントがまた増えて同じアクシデンドが起こる

科学(理科)では「定義」というように(宇宙から一部切り取って)定められた範囲での実験と結果、という意味なので、
その範囲でしか「理論上は」実証されず、それが宇宙の全てのように数学的に解釈してしまうと
「局所解の罠」になる。環境モデルを捨象する。木を見て森を見ずの失敗が起こる。


例えば、中国の自動注射機械。私のような医療者から見れば、確実に失敗しないし効率的で便利すぎて全人類に導入してほしいとすら思うが
コメント欄にもある通り「生理的に嫌」「絶対に使いたくない」と。
人と人なら「信頼」「責任」があるが、機械にやられると気色悪いため。


https://www.instagram.com/reel/DKgp0ZwBsgO/?igsh=aHlpNmYxaWQ1b3Ix

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