毎朝、出勤するときに自転車の後部座席に3m程度の竹を横に乗せて、 車道のど真ん中をふさいでゆっくり走って「朝から社会に迷惑かける俺TUEEE」するおじさんがいたけど、最近見なくなった。

なぜ私の地元からあおり運転する自転車おじさんが消えたのでしょうか?


自転車のあおり運転厳罰化

埼玉県桶川市で自転車で突然、車の通行を妨害する「あおり運転」を行ったとして、警察は26日、市内の33歳の男を逮捕する方針です。男は同様の行為を繰り返し「ひょっこり男」と呼ばれていて警察によりますと、ことし6月の厳罰化以降、自転車での「あおり運転」で逮捕するのは全国で初めてだということです。

“ひょっこり男” あおり運転の疑いで逮捕へ 自転車では全国初
2020年10月26日 6時58分
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20201026/k10012680781000.html

2020年6月に自転車煽り運転も厳罰化されていたのか。通りで。

自転車に竹を横に一本だけ積んで車道を走行、片道車線をふさいで、荷物ですとギリギリ言い訳できそうなしょうもない悪意を規則正しく実践できたなぁと。逆に感心した。

もう二度と見られないだろう。

バンブー車道ふさぎ自転車おじさん

私は密かに「バンブー車道ふさぎ自転車おじさん」と名付けていた。

彼は毎朝、規則的に通勤車を一本の竹で妨害して渋滞を発生させる習慣を怠らなかった。

私はその事実を目の当たりにし、感動して震えた。
悪意しかないのだが、習慣化されているので。

バンブー自転車おじさんより早く出勤して、車道でエンカウントしないように心がけていた。


規則的な行動が象徴的な発達障害

こういった社会性の欠如した露悪的な行動は発達障害によくみられる。

特に規則的な行動が象徴的。

損得にも生産性にも善悪にも関係なく、無意味でも行動を慣習にする。

その行動をしている瞬間は全集中のフロー体験、トランス。

全宇宙の神の万能感と一体となったような恍惚感の境地に至る。

私の自閉症の知人は毎朝7:00ちょうどにトイレの電灯スイッチを規則的に10回連打することが慣習になっている。それをやらないとパニックになる。

なんの得もない全く意味のない行動だが、本人の中では神と一体化したような得も言えぬ快感。

組織の上司にいると問題行動が建設的に肯定されて問題になる

社会の生産性ある行動とピントが合えば良いのだけど、承認欲求が先立つので、どうしても周囲に注目されやすい露悪的な行動をしてしまう。

まだ社会性欠如ならいいが、組織で上司にいると、無意味な慣習も周囲が勝手に「社会的に意味がある」と肯定的な意味付けがされ、集団で非合理行動を取るので問題。

トイレの電灯スイッチを連打しようとも「スイッチの点検をしてくれている」
自転車で他人を竹を妨害しようとも「古き良き竹の文化を伝えようと努力している」

「この伝統を引き継がなくてはならない」と非生産行動なのに、社会的に意味がある行動として肯定して、集団で意味のない行動をするのです。

自己愛+自閉症+年功序列の組み合わせが日本の環境を最悪にさせる