自分に関係ある世界を「世間」
世間が派生して流動化したのを「空気」。
自分に関係ない世界を「社会」と言います。
「世間」とは「空気」から流れ出たものにすぎません。
空気」と「世間」 (講談社現代新書) 鴻上尚史
私はこの鴻上氏の表現がとてもしっくり来ました。
日本社会の根底を見事に言い当てています。読むと問題が整理されてスッキリします。
そして日本では「世間」と「社会」は区別して考えないと損や理不尽を被るのです。
世間、空気、社会の正体
日本では
「世間様が許さない」
「空気を読め」
「社会では許されない」
と言いくるめられることがよくります。
しかしこれらはすべて「一人称を複数形に言い換えているだけ」。
心理学では「過度の一般化」と言います。
これらの言葉を言う人は、文脈において
世間=その発言者の身内のこと。
空気=その発言者の身内だけで通用するルールのこと。
社会=その発言者が誇大妄想で世間と勘違いしていること。 =本来は世間とは関係のないこと。
です。
「世間」ではなく「社会」に発信しないと孤立する理由
上記のような、「世間」「空気」「社会」という言葉で「一人称を複数形に言い換えているだけ」「過度の一般化」の人は、「他人に嫌われて孤立」していきます。
なぜかというと「他の人にもその人独自の世間があるから」です。
自分の感情を常識として言い換えて一般化を広げていくと、他の人もっている常識(世間)と摩擦するので、どんどん対立が生まれ、誰にも共感されなくなります。
これは「世間」という、その発言者の身内だけの世界に対して発信しているときに起こります。
例えば、「仕事がない」という問題があったとします。
それに対して、「どうせ自分なんか…」と悲観して仲間内で愚痴ったり、SNSで仕事のある人を嫉妬して叩いたり、同じく仕事のない人をみて俺の方がマシだと同族嫌悪してはいけません。
自分の中の「世間」だけになって、遅かれ早かれ嫌われて孤立していくからです。
「自分と同じ悩みを持っている人もいるのではないか?」
と社会問題に変換して発信していく必要があります。
同質を求めて自分を無条件に守ってくれる「世間」に向かって書くのではなく、まずは自分と同質でない「社会」に対して。なぜそう思ったのかという情報を踏まえて発言・発信しましょう。
そうしないと世間から村八分にしかならないです。
なぜかというと「他の人にもその人独自の世間があるから」です。
自分の問題を客観的に取り出して、社会問題として考えないと解決はされません。
真面目で社会的地位の高さを求める人ほど、社会的孤立を恐れるがゆえに孤立していく
社会的地位の高さを求め、真面目な人ほど世間的な地位を気にします。
社会的孤立を恐れるからです。
恐れるがゆえに、強迫的に社会的孤立者や弱者を見下して攻撃することもあります。
すると次は自分が社会的孤立者になるという自業自得のループです。
一人称を複数形に、語尾を〜すべきと言って否定・攻撃してくる。心理学では「過度の一般化」で神経症の非現実的欲求という。非現実的なのは一人称が「私」から「みんな、社会、会社、世間では」とか個人では統合できなくなっているから。だからこれが統合しきれず破綻したのを「統合失調症」という。
鴻上尚史の著書「空気と世間」にもあるように「世間」と「社会」は区別して考えないと損や理不尽を被ります。
特にネットは基本自由ですが、自分の感情的に思ったことを思ったように書いてそれが仲間内で無条件で受け入れられる「世間」を求めるのでなく、それ以外の「社会」に向かって書かないと孤立しやすいのです
世間とは空気から流れ出たもの。日本社会の根底を見事に言い当てています。読むとスッキリします。→「空気」と「世間」 (講談社現代新書) 鴻上尚史