スイスのバーゼル薬学歴史博物館に行きました。旧市街の路地を入り込んだ所にあります。マニアックなこともあってか他にお客さんはいませんでした。
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スイス一人旅②~バーゼル編~
ただ医療従事者の私にとっては興味深いものばかりでした。
江戸時代の漢方の清躰丸と熊膽丸
いきなり日本コーナーが充実していてびっくりしました。
バーゼルの博物館なのにここまで日本のものが展示されていたことにびっくりです。
インターネットで検索しましたが、ドイツ語のサイトにも英語のサイトにも日本語のサイトにも解説した人がいなかったのでここで解説します。
清心丸・清躰丸(せいしんがん)
御免
家傳 気付けどくけし 緒の邪気べし
食傷留飲 清躰丸
秘伝 武州比企郡泉井 小川幸太郎 製
これは現在もあります。漢方の「長城清心丸(せいしんがん)」。
元の清心丸は今後、生産終了していくようですが「牛黄カプセル」と言う名で同じ調合・効能で売られています。
清心丸は牛黄(ゴオウ:牛の胆石)をはじめ人参など各種の生葉を調合したものです。中国皇帝にも古くから重宝されてきました。
皮膚のかゆみ、吐き気・嘔吐、胃部不快感、下痢に効果があるとされています。
天皇家の菊の家紋が入っているからよほど信頼があることが分かります。
熊膽丸(ゆうたんがん)・熊膽圓(ゆうたんえん)
傳家 大人小児腹一通より
熊膽丸
尾州名古屋本町通門前町 松前屋吉兵衛
熊膽丸(ゆうたんがん)。クマの胆嚢です。
現在も漢方で「熊膽圓(ゆうたんえん)」という名前で売られています。
食欲不振(食欲減退)、胃部・腹部膨満感、消化不良、胃弱、食べ過ぎ(過食)、飲み過ぎ(過飲)、胸やけ、もたれ(胃もたれ)、胸つかえ、はきけ(むかつき、胃のむかつき、二日酔・悪酔のむかつき、嘔気、悪心)、嘔吐、整腸(便通を整える)、軟便、便秘に効果があるとされています。
昔の医療器具
バーゼル薬学歴史博物館にて。昔の医療器具。今見ると拷問機具にしか見えません。
聴診器
注射器
手術器具。歯科口腔外科の抜歯用にも使われていたと説明に書かれていました。
医師パラケルススとは?(本名テオフラストゥス・ホーエンハイム)
>医師パラケルススとバーゼル大学の医師です。このバーゼル薬学歴史博物館でも研究していました。
自称パラケルススで、本名をフィリップス・アウレオールス・テオフラストゥス・ボンバストゥス・フォン・ホーエンハイム(略してテオフラストゥス・ホーエンハイム)と言います。
漫画・アニメの「鋼の錬金術師」で「光のホーエンハイム」というキャラクターが出てきましたが、その元ネタです。
主人公の父親役で登場します。
鋼の錬金術師 11巻
元ネタが16世紀のスイスのバーゼル大学の医師パラケルスス(テオフラストゥス・ホーエンハイム)です。
賢者の石やホムンクルスを錬成したとされています。
医学に初めて化学を導入したので「医化学の祖」とも呼ばれています。
本名にホーエンハイム(高い家)と付いて貴族だと身バレするので、ペンネームでパラケルススと自称していたのです。
錬金術も科学も当時のキリスト教では異端です。
キリスト教の信仰を模範すべき貴族が錬金術師(当時の最新科学)なんて異端なものをやってたとしたらまずいので姿を隠す必要がありました。
ホーエンハイムのように家柄が高貴だと身バレを防ぐためペンネームを使って自称せざるを得ないのです。
そして反動形成で別の信仰をするのはナイチンゲールも同じでした。
ナイチンゲールの場合は、家系からプロテスタントのユニテリアン派で、統計科学とも親和性が強いのですが、本人は反発でカトリックだと言いながら自分は統計やっていたのです。
バーゼルの医師・錬金術師パラケルスス(ホーエンハイム)はプロテスタントから「医学界のルター」と賞賛されました。
しかし「あんな下らない異端者と一緒にするな」と言い放ちました。
このエピソードは面白いです。
やってることは今の最先端科学。ただし昔は魔術と呼ばれたのです。
ナイチンゲールと同じく社会との評価との自己矛盾を抱えながら反発せざるをなかった葛藤を察します。
私もパラケルスス・ホーエンハイムの生き様に親和性を感じて勇気づけられるものがあったので頑張ろうと思えました。
日本コーナー
江戸時代中期~明治時代頃(1700年-1912年頃)に日本から輸入された薬品です。
当時、日本は鎖国していたはずですがバーゼルと交流があったようです。
日本の医薬品は江戸時代半ば頃に広く販売されました。
幕府も売薬を奨励しました。薬品商人が力をつけたのもこの時期です。
薬品は中国の「唐薬種」と呼ばれるものが主。漢方の信頼がありました。
大阪の唐薬問屋から、道修町「薬種中買仲間」から全国の薬屋へと流れていました。
しかし日本製の薬はニセモノが多く出回っていました。
幕府は「和薬改(わやくあらため)会所(かいしょ)」を設立して日本製の薬は検査しないと販売できないように規制していました。
江戸時代の携帯薬品箱(ピルケース)
徳川家の葵(あおい)の紋所(もんどころ)印籠。今で言うピルケース。江戸時代の武士は印籠の中に薬を入れていました。
何種類かのケースが展示されていました。
日本の置物
日本の赤べこのような置物。ニワトリとトラ。
説明には「日本から持ち帰った」とだけ書いてあって詳細不明。
日本のシマヘビ
日本の毒蛇。シマヘビ。
・・と紹介されていますが、シマヘビには毒はないので別のヘビかも知れません。
カエルの蟾酥(せんそ)
ヒキガエル。手前はヒキガエルの毒ケーキ。ヒキガエルは耳近くから毒を分泌します。また普段から皮を毒でコーティングしています。
主成分はブフォトキシン。強心ステロイドです。漢方では「蟾酥(せんそ)」と呼ばれます。
効能として心臓の亢進作用があります。
毒液は強心配糖体(きょうしんはいとうたい)と呼ばれる数種類の強心ステロイド。
現在でもカエルの蟾酥(せんそ)は漢方の虔脩六神丸(けんしゅうろくしんがん)や回春仙(かいしゅんせん)に調合されて使われています。
虔修六神丸
製薬するための道具
薬研(やげん)・・すり潰す道具
川越間坂伊兵衛店の浮世絵(枝年昌 作)
各國薬品箱具 染草其他穀只(?)
川越喜多町 間坂伊兵衛
川越吉田は今の埼玉県川越市だが喜多町は所沢市。
これは浮世絵師の枝年昌(えだ としまさ)の「川越間坂伊兵衛店」 大錦という作品。
明治25年(1892年)の作品。http://lapis.nichibun.ac.jp/sod/Detail?sid=2-524&eid=01
元々川越は、川越商人と呼ばれるほど商業で大きな力がありました。
吉田幸兵衛など横浜の御用商人に専売し莫大な富を生んでいました。主に生糸が中心でした。
群馬県の富岡製糸場に投資していたのも川越商人でした。
真ん中はセミの抜け殻。右の容器の説明にもin Japanと日本の説明がある(詳細不明)
製薬実験室
あの錬金術師カリオストロもこのような実験室で黄金を作っていました。
錬金術の実験室の構造
今のような実験室とは違い、部屋の真ん中に画像のような厨房のようなホールの空間があり、その周辺に個室が並ぶという建築でした。
特に大きな違いは「祈りの祭壇」があったことです。
錬金術の実験室は「Laboratorium」(ラボラトリウム)と呼びます。
今でも大学の実験室のことを「Labo(ラボ)」と言いますね。
これは仕事場のlaborと祈祷室のoratoriumの合成語です。
錬金術の基本思想
当時の錬金術師は、丸いフラスコの中ので実験に宇宙を見て、実験することで全宇宙神を感じようとする世界観を持っていました。
錬金術には、不完全なものを完全なものに変える方法(賢者の石)と、人間を神のような存在に変える方法(ホムンクルス)が考えられました。
賢者の石の作り方
賢者の石とはこの世で最も完全な物質のことです。
錬金術の知識は知識人に理解されればいいとされていたので、記号、象徴、寓意、比喩、記号、曖昧表現、矛盾をわざと組み合わせてわざとわかりにくくしていました。
火を△と書いたり、工程で固定することをⅡ(双子座)と書いたりしました。
賢者の石はウロボロスという古代ギリシャ神話のヘビで象徴されていました。
ウロボロスは自分の尾をくわえたヘビで「一は全、全は一」という標語を使います。(プリマ・マテリア)
金→鉄→銅→鉛→錫(すず)→水銀→銀→金・・の輪廻を繰り返すのが賢者の石(ウロボロス)です。
「賢者の石」の作り方を記した「錬金術文書」が代々書かれました。
「賢者の石」で金が輪廻するように、賢者の石と同じように人間も同じ物質として不老不死(ホムンクルス)になれると考えられました。
錬金術の歴史
元々錬金術は紀元前3世紀頃にエジプトのアレクサンドリアで生まれました。
アレクサンドリアにはアリストテレスやプラトンのような古代ギリシャ哲学もありました。
そして古代エジプトから古代メソポタミア文明にも普及し、メソポタミア文明で生まれた占星術も合わさって、新プラトン主義とグノーシス主義が融合したヘルメス思想が根幹となりました。
2世紀頃にグノーシス主義ではウロボロスは復活したイエスの象徴とされていました。
錬金術の背景のヘルメス思想もグノーシスの一派なのですが、グノーシスは当時の教会に弾圧されていたこともありウロボロスとイエスを結びつけるのも異端とされました。
その後、錬金術は、4世紀頃にはイスラム帝国の台頭がありビルザンチン(東ローマ帝国)のコンスタンティノープルに中心地が移り、
8世紀~11世紀までアラビア世界で十字軍運動(聖地奪還で中近東へ遠征)が起こり、
12世紀以降にヨーロッパ世界で流行します。
参考文献
スイスの2大製薬会社
このように錬金術師の歴史から、薬学に馴染みのあるスイス。
今でもスイスにはバーゼルのホフマンラロッシュとチューリッヒのノバルティスの2大製薬会社があります。
バーゼルのホフマンラロッシュは日本の中外製薬の親会社です。
抗不安薬バランスやセルシン。インフルエンザ治療薬タミフルを製薬しています。
しかしタミフルは現在(2019年現在)、WHO(世界保健機関)の必須医薬品ですが懐疑的な研究結果が相次いで今後の除外対象になっています。
ホフマンラロッシュ社より、チューリッヒのノバルティスの方が優れた薬品を作っています。
ノバルティスは、イマチニブ (抗がん剤)、ディオバン(バルサルタン, 高血圧)、ラニビズマブ(加齢黄斑変性)、オクトレオチド(先端巨大症)、アムロジピン(高血圧)、リバスチグミン(アルツハイマー病)、ゾレドロン酸(骨粗鬆症)など、医療従事者には馴染みの深い薬剤を取り扱っています。
これらの薬剤はブロックバスターと呼ばれます。
他を圧倒するシェアや新しい市場の開拓、巨大な売り上げで利益を生み出す新薬のことです。
ブロックバスター医薬品の世界の売上ランキングは、アダリムマブ(ヒュミラ – 関節リウマチ薬)、インスリン・グラルギン(ランタス – 糖尿病治療薬)、エタネルセプト(エンブレル – 関節リウマチ/乾癬薬)、アピキサバン(エリキュース – 抗凝固薬)、リバーロキサバン(イグザレルト – 抗凝固薬)。
このラインナップを見ると三大疾患の関連症よりかは生活習慣病や更年期障害へのブロックバスターが多いです。