私も猫が好きでもう20年近く家族として飼っています。
私は友人経由で猫をもらいました。
一方、猫の里親募集をしている団体的な人も多々知っています。保護して立派だとは思います。
しかし猫の里親募集している団体には狂気的な人をまれによくみかけます。特に個人規模での場合に多いです。
このような人はどういう心理状態なのか?
はてなブックマークにて以下のような記事をみつけました。
この事例を参考に考えていきます。
猫を探してるんだけど、挫折して三度目くらいかな、嫌な思いばかりするのでいいたい。
里親募集をかけてるネコの保護団体のひとたち。
めちゃくちゃ里親応募者の人格やプライバシー、個人情報をうるさく聞いて人をジャッジする癖に、
自分たちは宗教活動、政治活動しててその教義の押し付けをしてきたり
猫の飼育状況に関しては応募者たちよりよっぽどやばい環境で雑に猫管理してたり、まず最初から応募者を「詐欺師か動物虐待人間か?」という疑いの目で見るところから始めて当たりがきつかったり、
こっちはたくさんの猫の世話で忙しいのよとばかりに雑で失礼な態度とられたり(管理しきれてないなら囲うなよ。虐待してるのはそっちだろ)、ひたすらどうでもいい雑談の相手に拘束したり、……かいてて思い出しゲンナリするが、そんなんばっかりで本当にひどい。
(中略)
「自分は正義の人!だから自分の考えは正しい!やってることは百パー正しい!」ってもうそこの認知が揺るがないから、そういう自己の在り方に疑問のない人達って本当にひたすらめんどうで、もうめんどくさいからペットショップでネコ買いたくなってきた。
かわいそうな猫を一匹でも減らしたいって思いもあるのに。
生体販売でビジネスやってるペットショップは、この世からなくなればいいと思ってるけど、
ネコの譲渡に関わってくる「慈善活動家(社会からの認証に飢えてる専業主婦のおばさん、おばあさん)」がやばすぎて、いままた何度目かの挫折中。
(中略)
猫を人質(猫質)にしてやりたい放題なのだ。
猫たちはなんにも罪はないが、おばさんの肯定まではしてない。
あいつらときたらやりたい放題なんだ。
引用元:はてなブックマーク 猫の里親募集してる人たちの狂気
なぜ猫は可愛いのか?
なぜ猫はかわいいのか?
その答えは「赤ちゃんに似ているから」です。
「目の大きい」ものを、人間は「かわいい」と思います。
なぜかというと自分が赤ちゃんだった頃、自分が親に顔を近づけて見てもらっているからです。
ここで「自分はパパやママに注目されている!嬉しい!」という注目賞賛欲求の基礎を作られます。
すると「自分は誰かに注目されたい!」「見ていてもらいたい!」という欲求が人間誰しも本能的に強く出てきます。
猫=かわいい=注目されたい=目が大きい=赤ちゃん=漫画やアニメのキャラクター
なのでアニメのキャラクターは目の大きなキャラクターにデザインされます。
そちらの方が可愛いからです。
イケメンやかわいいアイドルと評される人たちも、ほとんどが目が大きいはずです。
余談ですが、ガンダムの創始者の富野由悠季はこういった事情により目を大きくデザインすることを嫌い、わざとキャラクターの目を小さく書くようにデザインしていることは有名です。
女性向けの漫画やアニメの異性キャラクターは、女児向けは目が大きくて可愛いデザインですが、対象年齢が高くなると異性のキャラクターの目は小さくなっていき、顔が小さくあごがシュッと鋭利になっていきます。幼少期の父親の理想像を投影していくためです。
逆に男性向けの漫画やアニメのキャラクターは、男児向けは女性の対象年齢が高い向けのキャラクターから、どんどん目が大きくなってかわいい萌えアニメ向けになっていきます。幼少期の母親像を投影していくためです。
キャラクターデザインはこのように女児・男児でスタートは違えど、途中で好まれるデザインが交差するようになっています。
猫の慈善保護団体が、猫しか保護していないのはそのためです。
不思議な話です。
本来の動物保護なら、猫以外にも、犬でもサルでもワニでも鳥でもゴキブリでも保護していないと理屈が通じないのです。
ネコしか保護していないのは人間と似ているからです。
自分を認められないと猫に注目させて埋め合わせる
さて人間が猫が好きな理由は赤ちゃんを見ているからだと分かりました。
私もその一人です。
「自分は誰かに注目されたい!」「見ていてもらいたい!」という欲求が人間誰しも本能的に強く出てくることまでは、当たり前のことです。
問題はどこかの発達段階で、「自分は自分で認めるものだ」と自分を等身大にみることができる時期がきたかどうか?です。
多くの場合、子供の頃は夢見がちでも、避けられざる挫折経験や心理的危機のイベントを通して、自分自身を等身大に認めるようになります。
もしこの経験がなかったとしたら、狂気的に猫を保護して、里親までも虐待者だと叩くようになるのです。
子どもがいない寂しさをペットで埋め合わせる
そしてこういう人たちに共通しているのが、子どもがいないということです。
そして女性が多いということです。
子どもがいてももう家に同居していないか、そもそもいません。
本来、母親が赤ちゃんや子どもを愛しく思うのは、赤ちゃん=目が大きいので「自分が注目されている」と思えるからです。
つまり
・自分への注目賞賛欲求が強い
・自分が自分で認められない
・子どもがいない
この条件が揃うと、狂気的な動物愛護・慈善保護を行います。
「狂気的」と言われるのは、「人間に対して差別的」だからです。
本当に可愛いのは猫ではなく、保護している自分
「こんなかわいい猫がどうなってもいいのか!」と「人質」として利用するようになります。
これも「自分は善しかない」という幼児性を引きずっているから起こります。
自分が善しかないということは、必死に他人を「悪」にしようとするのです。
こうすることで自分の幼児的な万能感は守られるわけですが、善人を悪人にしようとしているので忌避されます。
強盗が子どもを人質にとって「子どもがどうなってもいいのか!」という文言と同じです。
子どもを見捨てて殺されてもいいとは思いませんが、そもそも人質として取っている強盗の方が諸悪の根源なのです。
自分を認められない人はすぐ他人のせいにする行動を取ります。
そしてその他人のせいにする行動を正当化するために、人質を取ろうとします。
子どもを人質にとる強盗と同じ。
はっきり言えば「卑怯者」なのです。
仮に本当に里親が虐待者であるのなら、すでに里親に申請する時点で個人情報の身バレしています。
そこまでのリスクをおかしてまで犯罪的に虐待するというのは、おかしな話なのです。
慈善保護団体のほうが虐待に過敏になっていることは明白です。
捨て猫、保健所、友達経由が一番安全
基本的には猫限定の慈善保護団体は避けた方が無難です。
個人規模でなら知人の範囲で留めましょう。
完全に人間と無縁な捨て猫を直接選ぶか、
逆に公的な場所である保健所経由、
あるいは顔の知れる友達経由で猫を譲り受ける
のが後々の問題を避けられます。
長い間、家族として一緒に生活をともにするので、人間同士のいざこざに巻き込まれたくはありません。
責任を持って育てていきましょう。