薄暗い早朝。
まだ外に人も出ていない、街が静かに閑散としている雰囲気。
外国の早朝も同じ雰囲気があります。
欧米でもアジアでも、先進国・新興国関係なく、この雰囲気が共通なのが不思議です。
私が京都の禅寺で修行していた時。
真冬の早朝。
まだ真っ暗。
粉雪が吹雪く中、外の水道で限られた水で顔を洗っていました。手がかじかんで感覚がありませんでした。
しかし朝焼けにゆっくり照らされる薄雪の京都の街並み。
これを山の中腹のお寺から観て何か得も言われぬ感動を覚えました。
総じて本物の感動とは「言語で定義できるものではなく、定義域から外れた外れ値」であると感じました。
その希少性から体験や経験に依拠します。
ゆえに語ることは可能ですが定限(定義)することはできません。
哲学者Mプルーストの言う「瞬間生(レアレテ)」。
定義すると矛盾しますが、ヴィッパッサナー・マインドフルネスでの「時間」と「空間」も分からなくなった「世界との一体感」とはまさにこの「瞬間生(レアレテ)」を感じた瞬間でした。