奈良の富雄丸(とみおまる)古墳の盾形銅鏡と蛇行剣。

奈良市にある国内最大の円形の古墳で、精緻な文様がある盾のような形の大型の鏡や、波打つような形をした長大な剣が見つかりました。専門家は、当時の技術力の高さや古墳の埋葬の在り方を考えるうえで貴重な資料になるとしています。

鏡や剣が見つかったのは、4世紀後半に造られ、丸い形の「円墳」としては国内最大の奈良市の富雄丸山古墳です。

国内最大の円墳 富雄丸山古墳で青銅の鏡と鉄の剣見つかる 奈良 2023年1月25日
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20230125/k10013960311000.html

私もテレビで見た時に盾型銅鏡の文様から「隼人(ハヤト)」だと察しました。
「2.37mもある蛇行剣」もあんな長い蛇は日本にはいないはずです。
温暖な東南アジアを中心に分布する3m大のアミメニシキヘビです。
Twitterでも「なんか見覚えあるぞ・・?」とちらほら。九州の古代史に興味ある人は察する様子。

政治情勢的に良いタイミングで掘り起こされたと感じます。

ヤマト以前にいた「ハヤト民族とは何者だったのか?」知るいい機会ではないでしょうか?


隼人(ハヤト)とは何か?

奈良の富雄丸山古墳の銅鏡と蛇行剣。隼人(ハヤト)系。

隼人(ハヤト)は初期の「弥生移民」です。朝鮮半島南部から九州南部へ渡来した大陸の人です。

縄文人と共通点は少なく、遺伝子的にも弥生系の大陸のDNAを持ちます。

大和政権に対立しながら4世紀頃に大和の亜流として従属させられました。(※1)

隼人が大和朝廷に仕えた最初の記述は履中天皇の5世紀だが、推定では日本書紀の景行天皇の時代から。考古学的には4世紀推定。

(※1)
On the Origins of the Japanese Language P.227-
https://sciendo.com/article/10.2478/vjeas-2019-0008?tab=references

動画の後半あたりから、比較言語学を元に邪馬台国以前のハヤトの歴史が語られています。

“【日本語の歴史】アイヌ語だけではない日本先住民の言語史【縄文語→弥生語】”

富雄(トミビコ)→長髄彦(ながすねひこ)のこと

長髄彦=トミビコ→富雄丸(とみおまる)

実際に「富雄」の地名は神武天皇に抵抗した物部系の長髄彦(ながすねひこ)の別名「トミビコ」に由来します。

長髄彦(ながすねひこ)は、日本神話に登場する伝承上の人物。神武天皇に抵抗した大和の指導者の一人。神武天皇との戦い(神武東征)に敗れた。
概要
『日本書紀』では長髄彦であるが、『古事記』では那賀須泥毘古、また登美能那賀須泥毘古(とみのながすねびこ)、登美毘古(とみびこ)とも表記される。神武東征の場面で、大和地方で東征に抵抗した豪族の長として描かれている人物。
長髄彦(ながすねひこ)

・富雄(トミビコ)→長髄彦(ながすねひこ)は、初代天皇である神武天皇に対抗した反対勢力の人物でした。
・ちょうど5世紀頃、ヤマトより先住民であったハヤトは、ヤマト政権に取り込まれたのです。

南北朝時代に物部系の逆賊・長髄彦を祭る神社もあります。

日本は
1.縄文人に渡来人が弥生時代で稲作伝えた時、
2.物部vs蘇我の大化の改新以降に権威誇示のために建国神話として誇張して記録を残した時、
3.明治維新で薩長の田臥が倒幕した時(今に至る)

でコロっと政権が大陸系と原住民で入れ替わっています。

・先に来た渡来人と後から戻ってきた渡来人
・物部氏と蘇我氏
・神道と仏教
・平氏と源氏
・南朝と北朝
・尊皇攘夷と公武合体まで。

混在はしますが大雑把に分けて知ると日本史は血族で二転三転しながら争っていたのだとよく分かります。

古代日本の起源と歴史


昭和は「古事記」「日本書紀」以前の歴史を調べるのはタブーだった

戦後以前は軍国のために古事記や日本書紀からの皇国史観があったため、ヤマト政権の弥生時代以前をさかのぼるのはタブーでした。

ここでも80代の学者が「戦後にひっくり返った」と発言している通り。

ジブリの名作「となりのトトロ」のお父さんも日本の古代史を研究していて、その過程で「中国語翻訳」をしている設定があります。
当然ながら魏志倭人伝、三国志の頃の中国や、百済・新羅など朝鮮との遺物を解読するために必要です。
そのため大学から疎遠されて田舎で暮らしというわけです。

ちなみにちょうど奈良の富雄丸山古墳の銅鏡と蛇行剣の時代に、土蜘蛛(縄文人)や隼人(弥生人)を征伐した景行天皇が岐阜県可児市の「ククリ」で浮気を起こし、息子の日本武尊(ヤマトタケル)が岐阜県中津川市から長野県の神坂を越えて阿智氏(新羅王)のところへ行っていますね。

どうも訳アリな岐阜県可児市の「くくり」の地名