本当につらい話はなぜ話せないのか?~「語らない」のではなく「語れない」~

心理学・精神医学

「私は苦労した」「私は苦労人だ」と話す人は、間違いなく苦労していません。

本当の苦労は言葉では簡単に語れるものではなく、公言して自慢することではないからです。
公言する時点で、その苦労話に対して復讐心があるということです。

このような人は、確実に自分を被害者的な立場に置くことで自分を優位に立たせ、他の人をいじめ・迫害しています。
復讐のため、つらい体験を他の誰かで再現しようとするからです。

本物の苦労話をする人は「聞かれたら答える」や「相手の悩み相談の話題に出てきたら共感的し、聞かれたら自分の話をする」という行動をします。
決して自分から公言はしません。


ただ一方で、つらい出来事は胸に秘め、抑圧して黙っておくことは健康的ではないことも事実です。

ぐつぐつ沸騰した鍋に蓋をするようなもので、見た目は大丈夫そうでも、内側が大変なことになっていて遅かれ早かれ外に漏れてきます。

本当につらい体験をした人は、その苦労話を信頼のおける人だけに話し、新たな解釈を得て折り合いをつけて落とし所をみつけています。

つらい体験とは、理不尽だからこそ語れないのです。

理不尽ということは言葉で説明しづらいということです。
非現実的で現実離れしているからです。

例えば、私は医療ドラマを見るのがつらいです。
職場を思い出してしまってあまりいい思いをしないからです。

ウシジマくんやナニワ金融道のような借金に関わるノンフィクション性の高い作品などは本当にリアルの苦労体験のある人はつらくて見えないです。
嫌な思い出を追体験してしまうからです。

戦時中の体験も同じです。

戦時中の話は、殺す殺されるで時を経て訴訟問題にも発展しかねないこともありますが、出来事が現実離れしすぎているからです。

人に話すと非現実的な怪談話のようになってしまうからです。

このように「語らない」というより「語れない」ことの方が多いのです。

心理的に健康を保つためには、無理くりに語らせることよりも、

「語れない」ことも話せる、心を許せて本当につらい悩みを話せる友人・知人をもつこと。

その友人・知人が共感・受容的な態度で、「語れない」ことを断片からつなぎ合わせて「聴ける人」であることが望ましいです。

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