会話していて共感できるかどうかが精神病との境界

心理学・精神医学

会話してて共感できるギリギリのレベル(カウンセリングだけでなく薬物療法が必要)を今では境界性人格障害(ボーダー)と言う。

その前段階で自己愛性人格障害(ナルシスト)。
コフート時代まで、フロイト系はナルシストに対しても「こいつら自分だけの妄想に生きてるから、共感できないわ」とさじを投げていた。

FRB(連邦準備銀行)で例えると、何の根拠もないところからドルを刷り散らかして「どうだ金持ちだろう」と他国を他者軽視しているが、その根拠のない自己愛が爆発し過ぎてハイパーインフレに至って破綻することが精神病である。

人が合理的な”行動”を貫こうとする場合、その”動機”は「非合理的」な体験を受けたことに決っている。
徹底的に、理不尽で、不満で、問題で、不幸になるような非合理的な出来事があるほど、人は突き動かされる。動機付けの根本は動物的本能というエネルギー。
それを行為性向してエートス(行動慣習)と呼ぶ。

その「自然」を「規制」で抑え(無理やり抑圧させてストレスにさせ)、それに起因して起こる不幸をマスコミに叫ばせて更に国民の規制を助長し、お金を銀行屋に吹き溜まらせながら、理不尽にも税金をぶん取る仕組みが、一番大きいところでは「BIS規制」だと思う。

人格障害(境界性・自己愛等)と精神病(うつ病・統合失調症)は、妄想が「薄い←→濃い」の関係。

嘘や虚栄は、人格障害だと辛うじて「嘘をついてる自分」という「自分」があるが、精神病圏だと「自分」という自覚はほぼ無い。

少し細かく言うと、自己愛だと「自分」が辛うじてあるが、境界性だとボーダーの名の通り、自覚があったりなかったりする。

基本的に他者攻撃は自己承認欲求なので、神経症→人格障害→精神病の全てにおいて表出する。

周りに人格障害の傾向の人がいると振り回されて自分まで気疲れしてしまうことも多い。

少し距離を置けるといい。

斉藤 道雄 の 治りませんように――べてるの家のいま

「りべてるの家」では精神障害者の幻覚妄想大会というのをやっている。面白すぎる。自分をネタとして公表することで自己肯定感を得て、笑いからの改善という逆転の発想がいい。

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