アスペルガーの友人と会話していると
「殺人はかつて一度も起こったことがない。なぜなら法律で殺人は禁止されているからだ。」
「自動車事故は起こったことがない。なぜならガソリンでの事故は交通事故の確率より低いからだ。」
「レモンとビタミンCは無関係」
と意味不明な会話が起こって成立しません。この「会話の違和感」を洞察することがとても大切です。
本人は「なんか間違ったこと言った?」と分からないのです。
どこで脳内で線引きされたのか?
なので会話の違和感から「どこで脳内で線引きが入ってしまったのか」を一つ一つ分けて可視化させて繋げていく作業が必要になります。
すべてが別々の部屋に保存されるからです。
そこに善悪問わず、第一印象の初期インプットが神様の絶対真理のようになってしまうので、
「カレー」と「ライス」を別々に覚えてしまったら、「カレーライスなんて存在しない」という不思議なことが起こります。
あるいはカレーライスはまとまた関連ができていても、ハヤシライスは存在しないことになっていたりします。
関係性の欠如
これが原因で人間関係だと本人も周りもコミュニケーションで苦しみ、組織の上にいると組織を崩壊させてしまう。関係性の欠如。
前後関係があって、相関関係があって、長期的には因果関係もあるということを理解するのが困難なのです。
例えば「レモンとビタミンCは関係ない」「車とガソリンは関係ない」という、明らかに関係あるはずなのに、謎の線引きがされている「違和感」から、
アスペルガー的な繋がらない世界観から来るのか、境界例的な都合良く解離された世界観なのか、あるいは…と傾聴していきます。
1知って100を知ったつもりになる偽の万能感と、
一つの細かすぎることに固着しすぎる悪い意味での集中力と、
宇宙の端まで拡散していく注意散漫多動性。
全体ステータスのバランス感覚の調整が必要なのです。
科学的思考と結びつけると感違いを起こす
とても一つのことにこだわりをもって研究できるのも特徴なので、学者にも多い傾向です。
しかし科学では最低でも「あるかもしれない」「どうなのだろうか」と常に懐疑的な立場が科学者です。
しかし本人がファジー(曖昧)事象に耐えきれない性格だと「関係ない」と切り捨て、その非科学的で根拠のない部分を他人の見下し誹謗中傷の自己愛で埋めてしまうのです。
例えば、コロナ関連で「五輪とコロナは関係ない」と言ったり、原発関連で「メルトダウンと炉心融解は言葉が違うから関係ない」と言ってしまうのがそうです。
本質的に掘り下げていくと、幼少期から都合の悪いことはナイナイ、と強烈なフタをして逃げてシャッターを閉めてきた所が何歳になっても度々悲鳴を上げて、覗くと幼少期のままの本人が「認めてくれー」と大声で泣いている。感覚的に。
精神分析で実際に向き合って「実はこうなってるんてすよ」と見せるのは分析には繋がるけど自転車のマニュアルを知っただけに過ぎず、それだけで乗れる人はいいけど、自転車の乗り方を知っておいた方がいいのです。