時田憲一さんは思想について詳しいですが、アニメやゲームを思想抜きに楽しめているんでしょうか?
昔好きだったゲームが色あせていくのが嫌でなるべく思想については考えたくないのですが。
という質問を受けました。
確かにアニメやゲームを思想分析しだすと、純粋に楽しめていた気持ちが、別の考えでコーティングされてしまうようで、色あせて感じることはあります。
私もアニメとかゲームとか話題についていける程度には広く浅くほとんど見てますが、ほとんど思想抜きに楽しんで見てると思います。
なぜかというと、アニメ評論家で有名なオタキングこと岡田斗司夫さん(元ガイナックスのトップ)や、東浩紀さんも言っていましたが、
正直なところ、90年代(エヴァや攻殻機動隊など)で、ある程度の完成形を迎えてしまっていて、思想は語り尽くされているからです。
00年代以降、
京アニ系(CLANNADなどのkeyやハルヒやけいおんなど)や、
シャフト系(新房昭之のリリカルなのは・まどマギ・化物語など)や、
最近だと進撃の巨人などの大ヒットもありましたが、すでにストーリーは飽和してしまっていて、
むしろ90年代の初期に原点回帰しています。
なので、一度マックスを見てしまうと、あとは(言い方が悪くて恐縮ですが)語るに落ちることは分かっているので、思想で語れるほど期待してないのです。
逆を言えば、期待していないからこそ、何も考えずに楽しめる気がします。
ハ一レムアニメは特に分かりやすくて逆に安心できますね。
少し哲学的なアニメでも、ストーリーの世界構造は、一神教のキリスト教論理のものか、仏教的な超論理なものかの2つしかありません。
00年代以降の流行るアニメのほとんどは唯識論的な後者です。ただ最近はそこから、「日常回帰」の動きが強いです。
小室直樹氏の3番弟子の社会学者の宮台真司氏は、昔あったセカイ系(ラストで主人公が概念的な世界へ行ってしまう系)が飽和して、「非日常」から、「けいおん」のような「日常」に回帰してきたと言っていました。
これを「終わりなき日常」と定義しています。
最先端の老舗である京アニがこの「終わりなき日常」路線ですが、そこには新たなイノベーション(創造性)がないので、進撃の巨人のようなインパクトある作品が好まれるのが今の現状です。
最近、岡田斗司夫さんなどは、官給製のアニメ(テレビで流されるアニメ)をやめて、各個人から自由に創作できるアニメを世界に発信しようと企画していますね。
私も東方とボーカロイドは、極めて優れたソフトパワーを持っていると思ってるので、活かせていければいいと思ってます。
東方とボーカロイドは官給製ではなく、二次創作フリーで、ブームの終わりがないので、この二次創作の拡大を今は楽しみにしています。