追手門学院、外部講師が発言 「腐ったミカン」「よどんでいる」「負のオーラ」「要らない」
https://www.asahi.com/articles/DA3S14066886.html
このようなニュースを見るたびに陰鬱になります。
「いつの時代に生きているのか?」と。
よほどこの講師は無知です。同じ教育者として情けなくなります。
教育学部でさえ勉強せず、統計学論文で学ばないと「自己効力感を高めた方が能力・生産性の向上に有効」というデータを知らない人が多いです。
無知なのに他人の上に立って「厳しくしないと!減点だ!懲罰を!」と武勇伝を披露しながら他者評価下げに来る人が出てきます。
私は「それあなただけの不幸体験を他人に押し付けたい甘えだろ」とはっきりと思います。
例えるなら、自動車学校で学ばなかったので「ガソリンを抜けば車が走る」と勘違いしているくらいトンチンカンなのです。
自動車はガソリンを入れなければ走りません。
それくらいのことも知らないのかと情けなくなるのです。
他人の行動操作する人こそ甘えている
これが自己愛傾向ならまだしも、強迫性だと「~すべき」と真面目に組織の狂信者になります。
遅かれ早かれ葛藤が生まれて燃え尽きるのですが。
1人でやってればいいが、上の立場にいると他人の動きを完全支配しようとする「行動的操作」(幼児期にクリアできなかったゆえに)を披露するので厄介なのです。
組織のルールを盾に他人を支配する「行動操作」。
これは「幼児期の名残り」なので「幼児的操作」ともいいます。
過度の一般化による過度の干渉。
建前のついたわがまま、良く言えばお節介、悪く言えばいい迷惑。
心理士側からすると「あー親の存在を学校や会社や社会に置き換えちゃったのね」と察するが本人が気づいてないのです。
親の役割の「空席」を入れ替えられてしまう
次に「親が組織に置き換えられた」ということは、その人の理性的な親の役割が「空席」だったと逆に考えます。
カウンセリングだと「いつ空席となったのか?」を洞察していきます。
大体は幼少期の時点で、いきなりカットされているので、親代わりに組織を置いて教祖として自分を一番の信徒としてしまいます。
なので他の信者は落とす、という強迫性症状が出てくるのです。
親の切り離しの「カットのされ方」というのが重要で、いきなりカットされたのか、厳しくカットされたのか、ゆっくりカットされたのか、最初からカットもされなかったのか。
そのやられ方で神経症か人格障害か精神病かの分かれ目になります。
いきなり厳しくカットが精神分裂、精神病には典型的なのです。
人類みんな理性の「席」に誰かが居座って指示を出しています。
「空席」ではアノミー(無秩序:自殺や殺人と相関高い)になってしまうからです。
完全に自立している人なんていないのです。
男性だと毒父、女性だと毒母が常に居座って、頭の後ろから指示を出しているのです。