

被害者の女装男性(62)→幼少期に父親から「男らしくしろ」と女性性を過度に否定されて育つ →反発の自己肯定のため見た目で女装。中身は男性。
瑠奈容疑者(30)→女装の被害者男性と逆の性格だとすると、母親から「女らしくしろ」と男性性を過度に否定されて育つ(シンシアとジェフの分裂)→身体的な痛みによる自傷行為で生の実感→クラブで女らしくしてる男性(女装おじさん)に自己投影して興味。
結果、瑠奈氏の性格が解離
シンシア(お姉さん)→瑠奈が幼少期に母親から認められた部分
ジェフ(あこがれの助っ人)→瑠奈が幼少期から作った超自我(理性)
被害者の女装男性と瑠奈がクラブで付き合う
→被害者の女装男性が瑠奈を別の人間に売る
→瑠奈は「約束を破った」激怒
→父親へ協力を求め、愛の値踏みして殺人
→首を引き落として持ち帰って写真を撮って見せる(母親に嗜虐性から認めてもらうため)
◯公判での養育歴の成り行きを読んでると、
・親(特に母親)が子に無関心
・5歳児くらいのイヤイヤ期に向き合わず、母親が子育て介入をあきらめて放任主義
・手に負えなくなって、父親と母親が娘を拝みだす
・荒ぶる娘の自傷行為、妄想
よく「新興宗教は母親が子を拝みだすことから始まる」と言いますが、それに近いものが一家の中で起きていて、
女性性を否定した結果、女装おじさんに魅了されて、その被害者の女装男性に裏切られて「教祖様を怒らせた」と信者と一緒に制裁の見せしめとして「首刈り」した。
というストーリーが見える気がしました
ただ、なまじ父親が精神科医のせいで、家族で解離性の設定でストーリー作った(娘の刑を軽くするため)のでは…?と疑ってしまいますね…
被害者の女装男性も加害者を売ったようなので、誰が悪いと責めにくいですが、
特に加害者の母親が子育てに無関心で、実はかなり虐待的にひどい抑圧を娘にしたのではないかと感じています。
娘は首刈りして猟奇性や嗜虐性の承認を求めるくらいですから。