例えば、全く客が入らないで潰れた店。
上司が社員が無能だと怒っている。その店は閉まっている。入口のカギは上司が持ってる。そもそもドアが開いてない。開店してない。
しかし上司は「私は扉のカギを開けることができる!他の奴らにはできない!無能だ!その程度のことも分からんのか!」と怒る。
「あなただけカギを開けられても、お客さんも社員もカギ持ってないから開けられませんよね?」
と促しても「自分はできる、周りはできない」のこだわりと見下し。主観以外が想像できない。
上司が「三つ山問題」で発達障害的に幼少期から脱中心化されず、自己中心的な世界で止まってしまっていた。
潰れる前に社員も、自己陶酔して幻覚を見ている上司の「話の辻褄の合わない違和感」に気づけて離れれば良かったが。
「お前らは私がカギを持っていることを聞くべきだった。お前らは無能だから分からない。」などと、社員は非現実的な理由で上司に責められ、意味不明な自己愛の落し穴に巻き込まれる。