「有」と「無」の2つを包摂する上位概念に「空」(くう)があります。
私は「有職」と「無職」の上位に「空職」(くうしょく)を定義しています。
職の空白期間という意味ではなく、現世を超越し、悟りの道へ目覚めた人のことです。光明。ベクトルが違います。
京都の禅寺で修行してたときに、古米と落ちてる大根の葉と托鉢で生きられると気づいてしまい、屋根がある場所で衣食住が担保されるだけで充分と満足し、寝そべり族のように瞑想ではなく惰眠へ入定しかけたが、
感謝業を続けるうち一心三観で空観の「縁」を機能させることに発起しました。
作務で、綺麗になったところすら、ひたすら無限に掃除し続ける、その目的よりも、その内観の心の動きへ向けるのがヴィパッサナーの本質ですが、
口頭で説明すると体感から身体的に体得する本質と自己矛盾してしまうため無言でやってしまう。
一方で法話や読経するならそこで補足したほうがいいと思います。