議論の結論がトンデモなく意味不明で関係のない話になってしまうことってありますよね。
意外と頭がいい人にも多い「局所解の罠」について紹介します。
局所解の罠とは?
局所解の罠とは認知心理学者の下條信輔氏が著書の中で使っていた言葉です。
日本人は局所解に陥りやすい。
すなわち「狭い範囲では最適解だが、よりグローバルにみると最適ではなく、害すらある解」。
もともと日本人はタテマエと本音の乖離になれている。そして日本社会は無競争と独占の「安住の時代」を経て、急に自由競争と市場原理にさらされることになった。
するとたちまちタテマエと本音の間で、生き残るための改ざん、でっち上げ、やらせといった局所解がひねり出され、定着してしまう。
これが日本型「不祥事の構図」のパターンその1だ。
一連の食材偽装はその典型例と言える。
要するに与えられた競合状況に対して、素早く容易な局所解をみつけておちついてしまう心性を、皆がもっているということだ。ブラックボックス化する現代—変容する潜在認知
著書の中で下村氏はディオバン事件(※高血圧薬ディオバンが効果あるという論文を製薬会社のためにデータ捏造して作っていった事件)も挙げています。
例えば、ディオバン事件では、はじめに薬効ありきが背景となってデータの捏造という局所解に至りました。
はじめに成果ありき、そのプレッシャーのなかで後はデータでつじつま合わせとなった側面が多分にありました。
どの所属集団の枠で意思決定や倫理判断をするかということ。
業界内だけ、原発ムラだけ、学会だけ。
そうではなく、所属集団の多重化と複眼的な視点が必要なのです。
局所解の罠
例えば、私の体験で、このようなおかしな議論が起こったことがあります。
例として「泥棒は犯罪か?」という議題があったとします。
そもそも「犯罪」で答えは決まりなのです。
しかし、
賛成(メリット)と反対(デメリット)に分けて、
メリットあり!泥棒のおかげで被害者の防犯意識が高まった事例もある!だから賛成!防犯ベルで解決だ!
→?????という意味不明なことになりました。
泥棒は犯罪か?
→防犯意識が高まるから賛成!
→結論:防犯ベルで解決! ←??
・少数事例(外れ値)の一般化。
・「そもそも犯罪」なのに「賛成と反対」に分けて本題とかけ離れた結論に至ります。
良く言えば、これはディベートでいうとリザベーションの立場です。
反証・例外(リザベーション:Reservation)は、クレームの例外を主張します。
しかしこの議論の場合、そもそも「泥棒が犯罪かどうか?」であって、答えは「犯罪」であって、
賛成か反対か、まして賛成の少数事例という局所解の中で肯定して、「防犯ベルの設置」という解決法も本題からズレているのです。
身内だけの「世間」「空気」の世界ですべてを決めてしまうとこのような「おかしな意思決定」がそのまま
繋がっていくことがあります。
「そもそも悪いこと」という全体像を忘れている
「局所解の罠」で、お上(国や政府)から明らかに悪法が出てきても、中途半端に科学思考の人ほど、
悪法の中でメリットとデメリット探して「メリットがあるぞ賛成!」と凄まじく限定的な局所解を出すことがあります。
「そもそもそれは犯罪」「そもそもやらない方がよかった」という全体像を忘れているのです。
権威的なものを局所解の罠で肯定したがる
権威的であればあるほど、それを肯定しようと「局所解の罠」に陥りやすいです。
国や政府や、各省庁、身近では先生や社長や親などがあります。
例えば、
国が増税すれば経済衰退することはデータ上から明らかなのに、
増税の利点を必死に探して「メリットもあるぞ賛成!」とする人たちもいます。
また家族や学校や会社の組織集団でも、
上の人が意味不明な結論を出し、それを肯定しようと
「でも〇〇さんだけには効果あった!」
「理不尽を乗り越えることで苦労のありがたみを知ることができた!」
と必死に「局所解」を得て肯定する場合もあります。
「誤った意思決定」です。
大切なのは
そのわずかな確率(事例)のメリットは全体の問題解決に対して、どれだけメリットがありますか?
と考える視点です。
どんどん考える系(けい)が小さいところでの結論になるので、全体像と照らし合わせて見る必要があります。
神経症的な性格の人ほど権威の局所解を肯定して、他人の局所解を否定する
逆になぜお上の意思決定には局所解で肯定化していくのに、個人の人格に対しては局所解で否定していく人が多いのでしょうか?
他人の性格に関して重箱の隅をつつくような悪い面を見つけてそこをすべてのデメリットとして晒し上げて来る人がいます。
神経症の精神病圏にこういう人が多いです。
権威的な事柄に局所解を見つけて賛成していくことができるなら、他人の局所解の性格にも目を向ける視点を養ってほしいですね。