10年前に祖父が死んだときは自宅で転倒して頭部から擦り傷程度の出血、当初は大量発汗で痛がるも、数時間後には意識明瞭、ADLも完全自立。

しかし、その日を堺に眠り続けることが多くなり、そのまま一週間後に死の兆候が出て、かかりつけ医の呼びかけで家族や親戚友人に囲まれて自宅で死ぬという大往生でした。

今考えれば循環血液量減少ショック症状。

急変して救急車を呼べば入院して延命できたかもしれませんが、祖父も介護されたくないと生前言っていたので、介護生活のその後を考えるといい死に方だったと思いました。

転倒後ショック症状から一週間の死ぬまでの猶予があったものの、正直「え?」と言う意外性で、微妙に前準備できてなかったので、死後に少しだけ尾を引きました。

なんの前フリもない「急死」が一番遺族にとってダメージが大きいのです。

10年前の2012年8月、祖父が亡くなったとき「遺された祖母の介護はどうなるんだ」と私は進路を医学へ編入する舵取りをしました。

10年後の2022年8月の今、祖母が亡くなったとき「遺された父の介護はどうするんだ」と私は病院勤務の進路変更を余儀なくされています。

状況が重なっていて、とてもデジャヴュを感じます。

次の2032年の今頃は、父が亡くなって「遺された母の介護はどうなるんだ」と言っているような気がします。

それはあり得る未来として、問題はその「介護とやらに囚われて自身が成長していない」としたら情けないと感じました。

10日前の祖母の死と同時期に急変した父が介護用ベッド上に座位で一部介助で食事できるまで回復してきた。墜落から少し安定したかな。

慢性期の在宅から回復期リハビリテーションの図ような急性期の「墜落」が起こります。
健常であれば元に戻れますが、元々慢性疾患があると墜落ギリギリで持ち直して低空飛行からわずかな離陸を期待したい程度。