起業家たちを見ていて思ったこと~過去の再評価を目指すべからず~

心理学・精神医学

若手の起業家たちの会議などに行くと地元で生き抜いていこうとする力強い人たちがたくさんいる。

私もそういう人たちの刺激を受けて頑張ろうと思う。

ただ根本的にその方々と違うと感じたことが多々あった。

いくらかタイプがある。

起業家の3タイプ

1、スローライフ系(田舎で自給自足コスパ最高!地元の地域振興しよう!)
2、好きなものを続ける系(喫茶店やお菓子や服を売って生活したい!)
3、学校の体育祭・文化祭の延長線上系(イベントを自分中心に起こしたい!実行委員だった私よ!もう一度!)


いずれも本当に素晴らしいと感じる。
自分の好きなことを追求して、自分で生きていこうとする自己実現に向いている。

でも違うのだ。

なぜならば、どれもこれも過去の自分から得意なものを見つけて、それで「再評価」を得ようとしているから。

過去の自分の再評価を目指すと失敗する

話を聞いていて「すごいなぁ」とは思うが、協力しようとか支持しようとする気になれない気持ちがやっと自分でわかった。

1、スローライフ系にも共感はするし、田舎の自給自足も素晴らしいと感じるが、別に地域振興しようとは思わない。
2、好きなものを売り出すのも素晴らしいと思うし、私自身もやりたいが、他のことには興味ないのかと感じる。
3、学生時代の体育祭や文化祭の延長線上での自分中心でのイベントなんて、非リア充の私にとっては地獄の再誕でしかなく、そんな打ち上げ花火されても迷惑でしかない。
もとい一度の企画だけで二度目を考えていないだろうと感じる。

ゴールイメージが「過去の最適化」でしかないため、過去の承認欲求を満たしたい、再評価してもらいたい、という方向へ話が閉じているからだ。

例えば、私は社会福祉士や医療ソーシャルワーカーや看護師や認定心理士カウンセラーやSAM前世療法士等々の様々なライセンス受験資格を持ち、カウンセラーや手術看護師や統計心理学者や投資家の現場経験者である。
しかし、それぞれの道で再評価されようとは思っていない。

これらをかけ合わせて何か新しいことはできないか?と考えている。

つまりゴールイメージが漠然としすぎていてまだ具体的にイメージないのである。

そうでなければ「夢」と呼べないのではないかと感じる。

新しいことを生み出すことに投資価値がある

科学論文やアートやデザインの世界でもそうだが、それが価値あるものかどうかはどうだっていい。

何か新しいものを生み出すことに、新たな投資価値が生まれるのである。

そのためには「自分の好きなものを追求を!」というよりは、「追求すること自体を追求する」そういう「探究心」が常になくてはゴールが先細って途絶えてしまうのだ。

どの道を極めようとしてもどこかで自分のオリジナリティを出す時が来る。

そのときは過去の再評価ではなく、最初は誰の目からも白い目で見られるような新たな投資価値のあるものの提供から始まるのである。

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