「主語がデカい」と「社会化」を取り間違えるな

「配偶者の稼ぎが少ない」系の愚痴を話す人は、増税も最低賃金も年功序列終身雇用の崩壊も、社会的な背景を全く知らずに話している。

減税をしないという悪い政策による人災。

なのに徹底的に身内の個人攻撃に走る姿を見ていると、悩みになる前に「問題の抽象化」「社会化」の必要性を思い知らされる。

「問題」が中心にあって、それに付属するものが「悩み」です。

その悩みの解決には「問題の抽象化」「社会化」の過程が必ず必要です。

そうしないと「客観視」されず、主観的な感情が混ざりすぎて理解されず「共有」できないし、共有されなければ「共感」されないからです。

問題の抽象化・社会化の過程と「主語がデカい」と異なるのは問題へ向けているベクトルです。
これを他者や自分への攻撃材料に使うと、「みんな、世間、社会、常識、一般」など複数形を主語にする「過度の一般化」「誇大自己」になります。

この違いを履き違えてはいけません。

「過度の一般化」「誇大自己」

自分の主語を複数形にすることを「過度の一般化」。誇大自己になって統合失調する。

特に彼らが強い自己愛ゆえに主語の主導権を持とうとして他人へ「主語がでかい」「空気読め」と「社会問題化ではなく個人批判へ向かわせよう」とする傾向。自己矛盾の八方塞がりになる。

「主語がでかい」のマウント定型文で他人を抑圧して無双できると勘違いした結果、逆にそれ言う本人の一人称は自己愛性でデカいので
「サッカー」や「ジャイアンツがんばれ」の「チーム名」さえも「主語がでかい」と応援できず、
「会社つらい」さえも言えず「お前のせいだ」と泣き寝入りする事例が多発

悩みは問題を抽出して「抽象度を上げる」「社会化」する作業をしないといけません。
それをやらない人は「誰にも共感されない」まま「隣人の個別の悪口ばかり言い続ける」という更に悪循環を生みます。
KJ法やブレインストーミング等で可視化できれば分かりやすいのですが。

2005~2010年頃に流行って沈没した「空気読め」の乱用

2010年頃、「空気読め」のマウント定型文で無双できると勘違いした人が、他人に「空気読め空気読め」と強要して抑圧して回った結果、本人が一番「空気読めてなかった」ので友達を失い疎外されていった現象に似ている。「主語がでかい」無双。

小中学生で多く聞きます。脱中心化ない幼児的な自己愛。

「他人の悪口や批判はいけない」を「国や社会の悪くを言ってはいけない」と拡張して混同するのが大間違い。抑うつ病の元凶。
個人攻撃が良いという意味ではなく、生活の悩みや不満は「一般化」や「社会化」で変換して他者と共有して薄めなければ、改善されず泣き寝入りして内に溜め込むだけになるから

「空気読め」「主語がでかい」等の、この20年で流行ったマウント定型文を使って他人を抑圧無双し、自分は他人の悪口を言いまくるという、
なぜか本人は除外され、明らかに言う本人こそ脱中心化できてない事例を学生からよく聞き、
強制自罰的な社会に生きづらい感じになってるな…と感じた次第でした。

感情の客観視が出来ないとトラウマ精神病になる

自己において共感と理想を安定するためには、個々の問題を共有できる形に、社会化・一般化、抽象度を高くする処理が必要になるけど、
感情的な時は客観視ができないので意思決定も間違える。

阪神大震災でも東日本大震災でもそうだけど、本来その話で感情を共感し合わないといけないはずが、
日本人の悪い癖で問題となる話を「社会的に良くない」「空気読め」とタブー化して抑圧するので、個々の問題が社会化されずに、泣き寝入りで内に抱え込み、あとで心理的な病として表出してしまう。

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