この区別がついていないと「ネガティブなことを言ったらダメだ」という謎の宗教に浸かって、
永久に自分を抑圧しながら自分を保守的にキレイキレイな聖人化しようとするので精神病になる。
そして往々にして良心を利用する悪い人にだまされる。
「否定」と「指摘」は違います。否定は動機に主観的な見下しが伴う。指摘は客観的な事実。
— Tokey(tokita kenichi)🌍💉🩺 (@tokeyneale) January 1, 2022
一億総アイドル化の弊害
アイドル系の人は基本、赤ちゃんの頃からの
「私ってかわいいでしょ」
「泣いたら何でもママに許される」
「だから私悪くないもーん」
の延長線上で、大人になってもこの3つを集団で無限ループさせるだけなのだけど、純資産が貯まらず、時間的とともに途中から資源が枯渇してジリ貧になって溶ける。
「昔は天才の神童だった」「昔はアイドルだった」という自己愛の殻のそっ啄(たく)に失敗して、経時的に賞味期限切れを起こしてしまい、着火剤がないまま集団で湿気ってしまう。
忘れられた学びへの知的謙遜(ちてきけんそん)
一億総アイドル化しても何でもできるキレイキレイな聖人化に耐えきれなくなり、
自己承認欲求からリアルに自己愛を収束させて決済回収するか、
人間宣言してゲームから降りて楽になろうとする。
放っておいても誰かが勝手に社会的な役割を演じようとしてしまう機能の根底には、自分の親の役割を求める依存性がある。
しかし社会にコミットしてもそれは親ではなく、同僚や上司部下に求めても再現性はない。
内的事象に気づかない限りは死ぬまで求めて彷徨い続ける。無明。