時代を一巡する極左とネトウヨ

時代が一巡しているように感じませんか?

時代が一巡している


1.戦時の軍国日本教の親の反動で、子が理系の科学万能主義な唯物論の共産主義に目覚め学生運動。

2.過激化してあさま山荘やハイジャックやソ連崩壊やら見て、政治くだらねーと反発した子の世代がノンポリからヒッピー化して「愛国心」や「保守」の日本神話スピリチュアルな釣り糸を垂らす統一協会やらオウム真理教やらの新興宗教ブームへ釣られ。

一巡。

安倍晋三銃撃事件でも、
1を嫌って安倍首相のこと大好きだった容疑者が、
実は2で自分が嫌ってた統一協会そのものだった絶望。
例えるなら、信じていたアイドルが結婚したのでもう殺すしかないと。

カパッと真実が開き、2の実態に気づいて身を引いた人もたくさんいたが、見ないままの人は抑圧したまま精神病へ。

例えば、大阪万博も過ぎた頃、庵野秀明氏や岡田斗司夫氏もあまり語れないのが「愛國戰隊大日本」の古き良き今で言うネトウヨな黒歴史。

このようにカルチャーとして表現消化できればいいですが、同時期に勝共連合で統一協会などの「愛国心」で釣る新興宗教もこの後に旺盛していきます。

リベラルアーツの学問価値基準を知らなかったのが致命的だった日本

おそらく教育で最初から世界基準のリベラルアーツ基盤で学問理解していれば、理数系や文科系なんて日本独自の分け方をしなかった。
明らかに中国道教の有か無か(目に見えるか、見えないか)みたいな世界観の下地に学問を乗せてしまったせいで、イデオロギーがこんがらがった。

幕臣哲学者・教育家の西周(にしあまね:1829-1897)は、学術の「学」と「術」の中には上下関係。リベラルアーツを構造理解している。

「学(Science)」は、先行研究があって、そこから新たな仮説を立てて次の課題を見出していく。過去の集約から次の課題を見出す。理科(Science)の科学的手法。帰納法。人間を重視する。
「術(Art)」は、すでに神様の決まった解があってそれに合わせていく。演繹法。数学(算術)。神様を重視する

なぜリベラル・アーツ内で大学と工科大学は対立しているか?

血(民族)、言語、宗教、思想
という「この違いで戦争が起こりやすい順」は、タブーとされる政治や宗教思想と民族の生き方までワンセットで貫徹しているので、どこかで矛盾が生じればそこが心理葛藤になる。

逆に寛容度を上げていけば平和的解決になる。

リベラルアーツを学ばずに「目に見えるもの(唯物論=理系)vs 目に見えないもの(観念論=文系)」とやってしまったのがまずかったのです。

政治思想を語るとタブーだったり意識高いだのと批判されることがありますが、
思想について考えているのは「study(学ぶ)」の語源の通り「暇」なので良いことです。

この逆に、宗教や言語や民族などの数学(神様の)の存在論の根底になってくると折衝が多くて余裕がなくなってくるのです。

「study(勉強)の語源は「遊ぶこと」」「学ぶことは「暇」」「学問(科学)は暇人がすること」
中世以前は神が全て。「あいつは勉強なんかしてる、暇だねぇ。もっと神の言う通り教会に奉仕すればいいのに」言われた

勉強は「遊ぶこと」学校は「暇人が集まる場所」という語源

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