「個人の人権」と「公共の福祉」がぶつかり合う話題で気をつけること

公共の場である公園のベンチが不良の溜まり場になるのを防ぐため、湾曲したデザインにしていると言った上で、
区長が座って「私は大丈夫でした」(サンプル数1)って言うのは、ものすごく独善の「局所解の罠」なのだけど
「公←私」への正しい批判の「公民」議論をする上で良い教材になりそう。

公園の“意地悪ベンチ”が物議 排除アートか苦肉の策か…担当者「住民から騒音苦情」
東京・新宿区の公園に設置された“あるベンチ”が物議をかもしています。

公民のディベートで使えそうな良教材。
賛成派と反対派で分かれて議論しても、対して白熱しそうにないのが絶妙に良い。

ほんとこの話題、多くの人にとって「正直どうでもいい」が故に優れていて、
被害者が少なそうな感じが「公民」議論の教材としてトロッコ問題よりナイーブで良い。

「公園なので市民が座れるベンチが欲しい」
「公園なので不良が溜まらないベンチにしろ」

公共の共有物として、人間に両手を引っ張られてベンチの固形そのものが変形して適応進化したのは見方によってはアートなんですよ。

「個人の人権」と「公共の福祉」がぶつかり合う話題で「私は問題ない」という人は最高に頭の悪い

ワクチンも公園ベンチも「個人の人権」と「公共の福祉」がぶつかり合う話題なので、
公共の不利益を受けた反例に対して「私は大丈夫でした。だから問題ない。」とサンプル数1を過度の一般化して誇張して潰すのは悪手すぎる。

なぜなら「私は問題ない、大丈夫なんです」とは、「他の人が困っている」という「個人の人権」を無視し、「公共の福祉」という解決法まで軽視しているので。

単なる独善狂で、賛成派も反対派も敵に回すことになるから。

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