「トロッコ問題」が来た時に「どちらか選べないのよね」ではなく、
「私は大丈夫」
「トロッコ技術はすごい」
「私のフレンドは優秀だからー」
という幼少期から脱中心化されてない自己中心的な言説が来ると
発達障害的な「三つ山問題」や「サリーとアン課題」の方が解決されない問題が先に来てしまう

確率的で曖昧な「ファジー」なものが許せない(耐性がない)ので、善悪や白黒や0か100で見てしまう。
これが自己愛性と親和性が高いがゆえに自己破綻しながら大変に嫌われていく。
コントロールするまでにあ、あったかなかったか分からないような理想と自我を紡ぎ合わながら、再構築の訓練が必要になる。

発達障害が、無理に人間関係だの他人を取り込もうとして、自分の足らない部分を投影して他者見下しに走るがゆえ、無垢純朴である長所に「自己愛性人格という毒」を食らって、「うぐぐ…苦しい…」と自ら苦しんで鬱になる。
おかしい、もっと美しい心の原石を持っていたはずだが…。