賢い人が懸念してるのは、
表現や学問や思想の自由規制→人権の規制ということは監視する公的な組織ができる→増税される(不景気)
ことなのですが
頭の悪い人は、この文脈が読めてないので、単に「思想犯を国は規制して増税せよ」と、隣国と同じ権威全体主義を賛美してしまうのです。
この差が大きい。


思想ではなくその先にある規制→増税の危険性

国民のベースに各「自由権」があるのに、
それを児ポだのゲームだの国大法だの動物愛護だのフェミだのヴィーガンだのマイナ保険証だのインボイスだので、理由つけて国が「規制」=増税へ繋げてくるから叩かれるべきであって、
思想そのものを叩いて規制してしまうと自分もその思想できなくなる罠。

例えば、動物愛護やフェミやヴィーガンの過激派はその先に「規制→増税」という「あー!動物や女や野菜を人質にして、反対する奴らを規制して税金を取って食うタダ飯はうめーなー!」が最終目的だが
その目的を叩かず、思想だけ叩いてしまうと、自らの自由権も叩く自己矛盾で彼らの思い通りに自爆する

好例が統一協会で、宗教で信条の自由を隠れ蓑にしているが、行動が売国奴の反社なので法的に「覚醒剤」や「暴力団」以上の危うさで現政権は叩かれてるわけだが、
頭の悪い人は「表現の自由や信仰の自由はヨシ、権威主義で動物愛護やヴィーガンは叩こう」と自爆する自己矛盾したことをしてる傾向。

なぜネトウヨは統一協会の思想に賛同してしまうのか