パパは政治の話題に一喜一憂して
ママは芸能の話題に一喜一憂して
お互いに「それ自分に何か関係あるの?」と相互理解できないアレ。
「理想」の世界を重視するか、
「共感」の感情を重視するかの心性の違い。
「昔は共感的で優しい人だった」なんてあり得ない
よく漫画やドラマの悪役の過去の後付け設定で
「憧れる理想の人がいた」とか
「昔は共感的で優しい人だった」なんてのがあるが、リアルでも絶対にありえない。
なぜなら理想像や共感像を内在化できるほどの「原体験」があったら暴君にはならないから。
単に脳発達が未熟で経験不足な自己愛性なだけ。
「したいができない」が根底
「理想と共感」が中核的な自己の主軸。葛藤が生まれる場合、「主張と感情」が「したいができない」裏にある。
「主張を理解してもらいたい」より、身近で「その感情に共感してもらいたい」のであって、
遠くの何億人に主張を理解されても、その感情を「身近で」共感されなければ何一つ満たされない。
悩みの裏には「~したい、~されたい」という肯定語があります。「~されたくない、~されたら嫌だ」という否定語ではありません。本当は「~したい」けど「できない」という葛藤が怒りや悩みの正体です。
求めているものが「理想と共感」
で、その手段としての
「主張と感情」が
主張に共感的な受容を「されたいが、されない」
感情に理想的な受容を「したいが、できない」
「〜されたいが、されない」
内在化されてないと受容体レセプターもない。