バラいろダンディで梅沢富美男氏が
「人を殺したら全員死刑にすればいい」
と言ってたが、まぁ中学生の頃とかこういう稚拙な発想する。
テレビの芸能人おっさんの言うことなので、幼児と同じくらいの発言に捉えておけばいい。
さて実際にどうなるのだろうか?
殺人の大半は「死刑になりたい」が目的という事実
人を多く殺す人の大半は「死刑になりたい」のが目的。
なので殺人=死刑にすると殺人者が喜んで増えるのだ。
自殺と殺人は紙一重なので、現在の3万人の自殺者の多さ並に増える。
実際に「死刑」は抑止力にならず犯罪を増やす現状なのだ。
殺人の大半は血縁
今の警視庁の統計データを見ても殺人の相手は「親殺し」「親戚殺し」の「血縁殺し」が大半。
要するに財産などの内輪もめなのだ。
日本では無差別に2人以上を殺人すると死刑の可能性が高くなってくるが、
条件として
・相手が血縁でないこと
・2人以上の殺人
ということになるが、
そんな殺人快楽者は滅多にいない。
大半は親・兄弟で関わりある人物同士だからである。
まして少年犯罪や非行なんて滅多になく、昭和から比較すれば年々激減している。
ネット時代になって、リアルに興味をなくなったように、
トイレや駅の落書きより、ネットに落書きするようになったように、
どんどん治安が良くなっている。
ここで殺人=死刑にすると、今まで自殺のことを考えていた人が、殺人の方向性へ向かってしまうのだ。
デスノートの世界観をリアルにやるとどうなるか?
デスノートの「犯罪者はすべて死刑に」という世界観。
現実にやるとどうなるか?
犯罪が減ることはなく、むしろ同じように死刑になりたいので犯罪する人が山ほど増える。
漫画の中ではいじめも犯罪もない平和な世の中が描かれていたが、そうはならない。
無実の人を「冤罪をかけて殺そう」とする人が続出してしまうからだ。
「無実の人」が山ほど殺されてしまうのだ。
主人公の夜神月ことキラは、テレビやラジオやネット以外で犯罪者を知るすべがないので、無実・冤罪でも報道された瞬間にその人は「無実で死刑」になってしまう。
そうなると実はキラ・ワールドは簡単に信頼を失って壊れてしまうのだ。
附属池田小事件の宅間守(たくままもる)死刑囚の言葉を助長させる
附属池田小事件とは、2001年(平成13年)6月8日に大阪府池田市の大阪教育大学附属池田小学校で発生した小学生無差別殺傷事件。8人の子供の命が絶たれた。
宅間守は
「お前らのガキの8人分の命は、ワシ一人を殺して終わり程度の価値やったんやぞ!」
と言った。
人を殺したら全員死刑にする。殺人=死刑賛成派は、この言葉を支持するようなものになる。
どういうことかというと、
殺人=死刑であるのならば、「何人殺しても一人分の死刑には変わりない」。
つまり「どれだけ殺しても同じ」「女でも子どもでも弱者でも誰を何人殺しても同じ」という等価の論理になってしまうのだ。
裁判は、交通事故の過失割合のように何%相手が悪いというように、加害者と被害者を「天秤(てんびん)」に掛けて測る場所。
殺人=死刑にするとその機能さえも果たさなくなってしまうのだ。