岐阜県可児市の土岐康貞が築城した久々利城。この「久々利(くくり)」という地名がかなり古いです。ヤマトノタケルの父の景行天皇が造営した仮宮「泳の宮」(くぐりのみや)からとされています。
個人的に発見したのですが、実はもっと古く、上代語でここは「酒」という地名に由来する土地でしょう。
万葉集の歌碑
「百岐和 三野之国之 高北之 八十一鱗之宮爾 日向爾 行靡核闕矣 有登聞而吾通路之奥十山 三野之山 靡得 人雖踏 如此依等 人雖衝 無意 山之奥磯山 三野山」(可児市ホームページより) https://www.city.kani.lg.jp/15738.htm
万葉集は百済の前上東国語。
「くくり」もとは「酒」という意味
◎「くくり」もとは「酒」という意味
オックスフォードの上代語辞書では、古い言葉でもそのまま「くくり」はありました。
「くくり」は当時「kusi」と発音されています。
https://oncoj.orinst.ox.ac.uk/cgi-bin/oncoj_dictionary.sh?search=L090103&part=n
古事記によると「酒」という意味です。
古事記(712)中・歌謡「この御酒は わが御酒ならず 酒(くし)のかみ 登許余(トコヨ)にいます」
どうも訳ありな岐阜県可児市の「くくり」の地名
◎どうも訳ありな岐阜県可児市の「くくり」の地名
景行天皇以前からも
「崇神天皇-垂仁天皇- 景行天皇-日本武尊」の天皇系譜で、八坂入彦命(崇神天皇の皇子)のお墓(古墳)が岐阜県可児市の久々利にある。
崇神天皇の妃[ 尾張大海媛(おわりのおあまひめ、意富阿麻比売・葛木高名姫命) – 建宇那比命] の子どもである八坂入彦命(崇神天皇の皇子)のお墓。
同時期に古事記でも美濃国造の二人の娘に恋して大碓命(景行天皇の息子、大碓皇子)を遣わしたが取り込まれたので天皇が恨んで殺したとある。
日本書紀では景行天皇が美濃国に行幸し、美人と名高い弟姫を妃にしようと泳宮(くくりのみや)に滞在したが断られ、八坂入媛命(父は八坂入彦命(崇神天皇の皇子))を妃としたとある。
岐阜県可児市の久々利で、景行天皇が浮気をして息子が邪魔してきたので殺した。その後は崇神天皇(祖父)の息子の娘と結婚した。
なぜ崇神天皇の息子(八坂入彦命)の墓が久々利にあるかと考えると、景行天皇が美濃へ浮気したあと八坂入彦命の娘(八坂入媛命)と結婚したことから察するに、もともとは崇神天皇の息子(八坂入彦命)の土地だったからだろう。
新緑が美しい八坂入彦命の墓(大萱古墳(岐阜県・可児市) – 第十代崇神天皇の皇子ヤサカイリビコの墓)
https://www.city.kani.lg.jp/17500.htm