「不幸の錬金術師」と「不幸のビーチフラッガー」

心理学・精神医学

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実家に帰ったときの話。
「父の知人の親」が亡くなり、急に通夜に行くことになりました。
正直、「知人の親」なので父は面識も親交もありません。

しかし父は「いくんや!いくんや!」言い出して、母と私に「はよ飯作れ」「はよ風呂沸かしとけ」「はよ着替えさせろ」「はよ送れ」と命令の操作。

父親は自分は身体障がい者で動くことができません。
しかし他の人は操作しようとしてしまいます。

父は車の運転もできず、着替えることはもちろん歩くことも立っていることも十分にできませんが、なぜかそこを度外視して計画だけは考えて命令してきます。

自分の「どうでもいい計画」に「他人が動くこと」になるが、そこへの配慮がありません。

なぜそんなに不幸にしゃぶりつくのか?

「不幸の錬金術師」と「不幸のビーチフラッガー」

難病や障害が出てくると、その反動で、他人を操作したがる甘え欲求でてきます。
私の父や祖母もそうでした。

甘えることは別に良いのです。
障害者なので日常生活でできることに制限がかかるからです。

問題は、介護される人は「当たり前」になると「ふてぶてしく」「図々しく」なることです。

自分は介護を受ける身でありながら、日常生活以外で「どうでもいいこと」なのに他人を操作しようとしてきます。

これが介護疲れの一端になります。

そのために自分より「不幸な人」を作り出します。

私は「不幸の錬金術師」と名付けました。

パターンとして、死などで自分より不幸な人ができると「可哀想、可哀想」と同情して口ではいいつつ、自分が優位になったと喜んで他人を操作しにかかります。

会ったこともない人の葬式に言って「可哀想、可哀想」やってるのです。

私の母もそれに追従してしまい、自分で誰かも知らない人のお葬式へ行って香典にお金だして「香典がー金がなくなるー不幸だ―」とやってるのです。

「不幸の錬金術」が作り出した不幸に、我先にと頭からしゃぶりついて「不幸、一番乗りでとったどー!」と旗を取りに行ってしまう「不幸のビーチフラッガー」なのです。

このように、私は自分の家族を神経症的な共依存とした上で「不幸の錬金術師」と「不幸のビーチフラッガー」の役割をしていると気付きました。

すべての話を不幸話に塗り替えていく能力があるのです。

世の中には自ら不幸に突撃していく人というのがいるのです。

私は家族とは真逆のことをするようにしました。

不幸の錬金術師は、代理ミュンヒハウゼン症候群 不幸のビーチフラッガーは、シンデレラ症候群

やはり私の指導教官が表現した、

アノミー→自己愛傾向=いじめっこ(他者軽視)=小さな物語(狭量な価値観)=それぞれでアリ地獄を大量生産
→やさしい人を落として食って死骸を捨てる

・・というモデルがしっくりきます。

自己愛アリ地獄のエサにされる優しい人~「小さな物語」という蟻地獄~



代理ミュンヒハウゼン症候群で「不幸を作り出す能力」をもつ「不幸の錬金術師」の祖母、
シンデレラ症候群で「自分が不幸になれる出来事には我先にと飛びついてしまう能力」をもつ「不幸のビーチフラッガー」の母。

共依存でダブルバインドの絶妙で最悪なコラボレーションなのです。

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