この1年で「公金」(税金)と「私金」、
「政治」と「宗教」の区別を知らず「自由でいい」とアンポンタンな人の多さに驚いたばかりで。
トップダウンで上から下へ支配するのが宗教。
ボトムアップで下から上へ作るのが政治。

私金なら自由なので知ったことかでOKだが、公金で前者を肯定したらアウトよ

中世以前の、更新のない聖書の時代まで戻そうとする「保守」と
近代以降の、理系科学で仮説と課題で更新がある「リベラル」、「リベラルアーツ」
なんで世界最高学府ハーバードや日本共産党はみんなバリバリの理系なんですか?って、
近代以降に学問(理系)やってるから当然リベラルでしょうよ、と。


公金(税金)と私金の区別がついてない

最近の「公金(税金)と私金の区別がついてない」ゆえに「公金の私金的な使い方」を問題視できず、
「個人批判」から「構造批判」に繋がってこない様子を見ていて、
明確に問題の本質を理解してる人としてない人で「知的分断」が起こっていると実感した。

批判するときに「構造批判」がないと単なる私人批判になる。
問題を「社会化」(一般化)できてないから。周りも共感できない。
インテリ層の人も「自分と関係ない」ので誰も共感してくれなくなる。
「許すか、許さないか」だけの感情的な人だけが釣れてしまって修羅となる。

日本人が身近な問題を社会化して共有化する抽象思考の過程で、
「日本政府」の政治経済の話になると思考停止する層と、
「国際社会」へ、もう一段、経済規模の大きな話へ拡張させると、稚拙な善悪二元論を展開したりシャッター下ろして思考停止する層が二重にあると、この3年でとても察した。

インボイスもマイナ保険証もフランス外遊も大津市花火大会フェンスも「法改正してない」「憲法違反」
「私金の民間なら兎も角、公金(税)で国がやるな」が結論なのですが

賛成派が「公金と私金の区別付いてない無教養な人」ばかりで、さすがに「え?そんなことも知らないの?」とズッコケるしかない

相対するように
「国の税収、過去最高額の71兆円」と「国立科学博物館1億円クラファン募集」の話題が同時に来て、
税金で生活する文科省官僚が、SNSでドヤりながら文系理系の科学研究アカデミアを見下してきて大炎上する波状攻撃。

おそらく科学博物館ではなく美術館だったら「権力に憑依して擁護する御仁」が「文系はそうなる」とドヤれたのを
国立理系をダイレクト攻撃されて「いや文科省官僚様は中立で…」と顔真っ赤にして擁護するも
70兆円の公金と-1億円の私金を「中立♪中立♪」が無理筋すぎて。

権力側に憑依して擁護論を張る御仁

「権力側に憑依して擁護論を張る御仁」は
「公金(税)」と「私金」、官と民の区別がついてないゆえに「反対派のせいで関係悪化して重税になった」と官僚の味方をしてしまう。「水と油」で油の味方をしてしまう。

官の暴走を止めるのが本来の政治の役割なのに。油の味方をする政治家を応援してしまう

そのうち「社会保険料は払ってても、紐付けた口座残高がこれだけでは、マイナ保険証は使えませんね」とやってくる。
琵琶湖の大津市花火大会のフェンスのように。
すでに市民は税金を払っているのに、見るために有料化し、更にカネを取ろうとしてくる。
公園の有料化のような憲法違反。

「世間」と「空気」
「数学」と「理科」
本体からの「流動物」なのに。
「空気読め」と言うのに、「世間様は荒ぶるカミなので見てはいけません、ナイナイ」とやってしまうので、
加虐的な自己愛性が、満面の笑みで集団のど真ん中に座り込んで、乗っ取られてしまうのです。

最近の「公金(税金)と私金の区別がついてない」ゆえに「公金の私金的な使い方」を問題視できず、
「個人批判」から「構造批判」に繋がってこない様子を見ていて、
明確に問題の本質を理解してる人としてない人で「知的分断」が起こっていると実感した。

「公金(税金)の使い方への批判」◯
「公人への批判」◯
「構造への批判」◯
「私人への批判」✕

「批判はやめよう」と良心ぶるのに、公金を私的利用する公人を、自身の私的な話と混同して「私なら問題ないから良い」と、おかしなことになるのは区別がついてないから。

ドバイから私人批判した議員
公金でフランス外遊した議員
を並べると、
前者は公人が私人へやるべきではなく、後者は公人が公金の私的利用しているので批判されるべきで。そして後者の方が遥かに罪が重い。
公人がすべきは公人及び準ずる構造批判であり
私人がすべきはそれをしない公人への批判である