評論家・宇野常寛氏があいちトリエンナーレについてうまくまとめていてくだったので紹介します。
『スローニュースと遅いインターネット』
Q.今のインターネットを一番象徴する出来事とは?
A.宇野常寛「あいちトリエンナーレの問題(下からの全体主義)」
調査報道の支援を目的に「スローニュース」を設立した瀬尾傑さんと議論
たとえイデオロギーが愚かに映ったとしても脅迫という手段によって展示撤去するのはNG。
脅迫するのはNGという当たり前の話なのにこの程度の常識が全く共有されていない。天皇の写真は燃やすのを肯定するのか?
津田大介を評価するのか?
とか言われるが、全く関係のない話。脅迫はNGだしそこに統治権力が乗っかってくるのは問題外すぎて絶望するレベル。
こういう言葉が届かなくなっている。
インターネットによって人々の民意が過剰に可視化されて下からの全体主義が
言論や表現に対して脅迫してくるのは許されることではない。左右の問題ではない。
このごく当たり前の話が分かってもらえない。
この話をすると、
この委員会が甘かったんじゃないか
覚悟がなかったんじゃないか
とか言われるが、そういう問題じゃない。津田大介の能力の是非は全く別の問題。
ここでそれを問題化させるのを、いかに脅かされている表現の自由とか統治権力の検閲の問題を覆い隠すことになるかということがわかんねぇのかよ。
私もこれには同意です。
前記事
あいちトリエンナーレが面白すぎた件~官僚のプロパガンダに対抗する方法~
でも書いた通りです。
国が日本国民を検閲・規制するための材料は、韓国だろうが、天皇だろうが、旭旗だろうが、ナチスドイツだろうが、なんだっていいわけです。
コミックマーケット(コミケ)で例えてみよう
例えば、あいちトリエンナーレをコミックマーケットで例えてみるとおかしさが分かると思います。
あるブースが本を出しました。
そのブースの出した一冊の漫画の一つのコマで過剰な過剰な表現がされていました。
それに対して「過剰な表現を止めなければコミケを炎上させるぞ」という脅迫状も届きました。
国や市は「これは問題だ!」とコミックマーケットの「全ブースの展示中止」を言われ、コミックマーケットはすべて中止になりました。
「おかしいでしょ」と言ったら周りから
「お前は暴力を肯定するのか」
「運営者の評価はどうなってるんだ」
「自由主義を言うとはお前は左翼だな」
「税金を出すのはおかしい」
と叩かれ「????」となりました。
しまいには国からコミックマーケットの祭典の中止のみならず、補助金もいきなり停止させられました。
国(官僚)が日本人を規制するため、材料はなんだっていいのです。
学校の文化祭や、嵐のライブで例えてみよう
コミケでイメージできない場合は、学校の文化祭でも、好きなアイドルのイベントでも、ジャニーズのライブでも何でもいいです。
学校の文化祭で出した一人の出した本で文化祭が中止された、嵐のライブイベントで非公認のグッズを売る人が出たのでライブが中止された・・
例えば、
文化祭で出した一冊の本の一コマに対して殺害予告の脅迫状が届く→模擬店やパフォーマンスも国が中止にしたようなものです。
中止の責任は校長先生にあるのでしょうか。
例えば、
嵐のライブで二宮くんに殺害予告の脅迫状が届く→関ジャニ∞やジャニーズ全てのライブを国が中止にしたようなものです。
中止の責任はジャニーズ社長にあるのでしょうか。
脅迫状に対して、
「おかしいでしょ」と言ったら周りから
「お前は暴力を肯定するのか」
「運営者の評価はどうなってるんだ」
「自由主義を言うとはお前は左翼だな」
「税金を出すのはおかしい」
と叩かれ「????」となりました。
いや、殺害予告の脅迫状を出した犯人と、その犯人の言いなりに行動した国の方が元凶であるはずです。
あいちトリエンナーレを叩いて、国の表現の自由の規制に気づかなかった人たち
私も、元々ネット右翼だったので平和の少女像や天皇の炎上の話は好ましいことだとは思ってはいません。
しかし結果的にそれをダシにして、国が検閲して日本国民を規制して税金交付を停止してしまう方が遥かに問題です。
あいちトリエンナーレを叩いて悦に浸っている人は一切気づいていませんでしたが、見事に術中にハマり、自分たち日本人の自由が規制されて墓穴を掘っていることに無自覚だったのです。
嫌韓や天皇を守る愛国心を言うことで日本人としてのアイデンティティを主張しているのかも知れませんが、中国共産党や北朝鮮、旧社会主義国とやっていることが同じでした。
むしろ日本人への交付金禁止ということまで賛成してしまっていては、見事に規制や検閲する国に賛成してしまっているのです。
先進国のパロディ条項やフェアユースを知らない日本人
フランスではパロディ条項と言って、表現の自由の範囲でパロディは許されています。
アメリカでもフェアユースと言って、他社のキャラクターを表現上で使うことも許されています。
先進国では表現の問題と考えることは「被害を受けた加害者と被害者の本人同士」が争います。
共産国や旧社会主義国のように「国が規制すること」ではありません。
芸術とは最新の科学研究と同じです。
社会を風刺してギリギリの表現を投げかけていく手法は当然あります。
例えば、ナチスドイツのハーケンクロイツの旗が、ただ置いてあったとして「悲しい」と感じる人もいれば「けしからん」と感じる人もいます。
受け取り方は画一的ではなく、多様にあります。
それを「悪い解釈のみ」で解釈してしまうと国家の罠にハマります。
全体を規制してしまうというのは、戦時中の治安維持法、独裁国と同じ国家権力の横暴です。
日本人を規制するために他の事例においても適応されてしまうということです。