新型コ口ナウィルスに対する医学論文は多数出てきています。
当たり前ですが、新型コ口ナウィルス自体が新規のものであり、過去に先行研究の論文もないのも当たり前です。
例えば、吸入シクレソニドでの3例の改善事例が医学論文で発表されました。
少しでも改善の可能性のある発表がされることは素晴らしいことです。
しかしこういう時、疑問に思うことがあります。
いつも「先行研究や前例が少ないからダメ」だの「引用出典がないからダメ」だのと「新規研究ぶち壊すマン」はどこへ行ったのか?
・・・と。
「新規研究ぶち壊すマン」はどこへ行ったのか?
同じ理屈なら、今の新型コ口ナウィルス系の新規的な改善事例や発見の医学論文を
「そんなものは前例ないから存在しない」と顔真っ赤にして潰しにかからなくてはならないはずです。
新型コ口ナウィルスで世界中で流行っている危機時に、びっくりするくらい新規研究の改善事例を否定しに来ません。
彼らの論理では、すべて「過去に前例のないこと」なので
「新型コ口ナウィルスも存在していない」
「新規研究など先行研究の引用ない。サンプルも少ない。すべてトンデモであり得ない」
ことにしなくてはならないはずです。
ここに来て大きな弱点が露呈してしまっています。
「過去のものは権威で崇拝しますが、未来に新しいものが出てくることは自分が想定していない」ので、何も言えなくなってしまうのです。
いまだに「ガラケー以上の携帯電話はない」と脳が止まってしまい「新機種のスマートフォンの登場や存在を認めない」おじいちゃんのようなものです。
過去に生きる人と未来に生きる人がいる
失敗を恐れて過去に固執している人と、未来に前のめりに投資していく人。この違いが大きいです。
論文のリテラシー以前の性格の問題です。
不安が強いと過去に固執してるので、未来の想定外の危機に対して認知バイアスかけ、情報を遮断、自己愛を肥大化して防衛するだけ。
こういう時に何の対応も出来なくなるのです。
これを典型的な認知バイアスと言います。
医学論文でせっかく少ないサンプル数でも症状改善事例が出ているのならば、それを「引用出典ない」とか「過去に前例ない」とか新規的事例だから当たり前のことを揚げ足取りしてぶっ潰す前に、
まず症例として可能性あるものと受容してから、自分で否定論文を出せば良いと思います。
科学発展のためにはカオスを受容する自由度がないといけない
科学が出はじめた頃、行動主義の頃の初期の心理学だってサンプル数数人でパラメータ3つくらいしかありませんでした。
もっと初期は神話や占いの世界を引用して心を語るしかありませんでした。
長期的に流行るコンテンツは有象無象や玉石混淆のカオスを受容する下支えが出来ています。
掲示板や動画サイトやコミケもそうです。
「祭り」のような自由度が根底にないと流行りません。発展も長続きもしません。
新規への受容がないと底が抜け落ちるからです。
日本の学術研究が世界的に衰退しているのは過去を崇拝する宗教の「過去崇拝教」なだけで科学的手法への理解がないからです。