昔、A君が「カウセリングで説教されるから嫌だ」と、と私に相談したことがありました。
私は「行かなくていいよ」と助言しました。
案の定、説教するカウンセラーという役職にいたのが、学校の元校長。
スクールカウンセラーという名目で役職に天下り、老後で年金受け取るまでの穴埋め雇用としていたのです。
このパターンが本当に多くてがっかりします。
そしたら元校長が「あなたがA君の自主性を無視してる、カウセリングは継続して行われるものであり…」と言うので、私は「あなたのその上から目線の態度がA君は嫌なんだよ」と伝えました。
どこの世界に、悩みを暴露した瞬間に、「校則には書いていない」とか「社会では通用しない」とか「常識ではそうではない」などと言うカウンセラーがいるのか。
私も憤(いきどお)りを感じました。
これは元校長でなくてもいます。
悩みを話したら即効でコンクリートで埋め立ててくる自称カウンセラー。
その上から自己啓発と自分の武勇伝を塗りたくる。
そりゃクライエントも嫌がります。
普通の人でも嫌でしょう。
傾聴とは
傾聴はうなずいて聴いてるだけではいけません。
心を万華鏡のように角度を変えて最低限5W1Hの質問を繰り返すことです。
本人が日常の雑踏の中で隠された通路そこにあるのです。
フロイトの言う「些細な言表への平等な注意」を向けること。
限りなく深くダイブ(潜水)して、戻ってきた時に大きな統合として抽象性が高くならないといけません。
カウンセラー同士のダイブ
カウンセラー同士では心の問答・公案のようなダイブ(発掘)を続けます。
どこまでも怯えず潜り続けられるのがカウンセラーたる素質です。
私の場合、どうも本質の手前でreason(理性)にして、暴露して法の下に引きずり出して、合理(ratio)としてビジネスのように建設的に錬金しようとする発想にいくと、カウンセラー仲間から指摘されたことがありました。
このように自身を客観的に見ることでさらなる傾聴と熟考へ向かうことができるのです。
潜水(ダイブ)が苦手な人は水が怖いので浅瀬でちゃぷちゃぷ遊ぶだけ。
プロのカウンセラーで潜水が上手い人は一緒に水深30メートルくらいまで潜れます。
水を見ようともせず一般通念や常識だの言って自分の重機持ち出してコンクリートで埋め立てるのは、どうしようもない素人なのです。