理科(自然科学・社会科学)では、仮説・実験・結果・考察という順番で行う。
数学では、解が決まっていてそれを証明する。
前者は帰納法、後者は演繹法と呼ばれる。
順番がまるで逆。
2つは対立する学問である。
理科は人間の作り出した「神の不在証明」が目的。中世以降から始まった。
数学は神様を論破して奉る「神の存在証明」が目的。中世以前に信仰されていた。
日本で数学教育を再編成するとすると、まず「数学」は世界的に「神学」と呼ばれていて「神の存在証明」をする言語であって「宗教」であること
人間の「理科(自然科学・社会科学)」とは正反対で対立する。
英語の語源でも、科学は「science(sci=神、ence=派生)」だ。
この基本的なリベラルアーツの視点を日本では知らない、習っていないので、世界学問基準で前近代国として下として見られる。
総合大学もuniversity(ユニバーシティ=universe:普遍、神様が語源。自由学問。リベラルアーツ。)
大学のCollege(カレッジ=collegium:人間の集団という語源。奴隷学問。)
でリベラルアーツで使い分けていることも、
ハーバード大学(university)と、マサチューセッツ工科大で対立している多くな意味が分からない。
アメリカでは建国当初はイギリスからユニバーシティが導入され、そのリベラルアーツのユニバーシティの下にカレッジの集まりができた。
カレッジは手工業。労働者・職人としての工科・専門学校である。つまりリベラルアーツ(自由学問)から見れば奴隷学問なのだ。
私はリベラルアーツになればいいと言うわけではない。むしろカレッジの方が人間として重要だと感じる。
しかしリベラルアーツの大きな学問体系を知っておかなければ、
「宗教者を数学と理科の理数系で証明論破してやる」とか、
「数学に逆らうのは非科学的」とか、
「理数系以外は滅亡させてやる」(←科学的唯物論。中国の独裁者・毛沢東が人類最多の大量虐殺でやった共産主義の根本思想。)とか、
大矛盾したことをやっている無知なる人々をみるのが同じ日本人として情けないのである。
過去記事
「科学」の語源は「神から流れ出たもの」。「証拠」の語源は「外に見えるもの」