宗教から近代科学への構造と発展~空による存在の定義と不完全性・不確定性~

心理学・精神医学

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キリスト教から生まれた資本主義、目的合理などはやはり仏教をよりどころにしたら両立同居はできないのか?という質問を受けました。

これは実に本質をついた的確な着眼点だと思います。

・この世の全ては構造主義的な情報量の大小によるヒエラルキー(階層)で示される
・上の概念が、下の概念を包括する
・これを突き詰めれば上は「有」と「無」の対立になる
・キリスト教では「有」=「神」としている
・仏教では「有」と「無」の更に上位概念に「空」を置く

ここまでの説明を包括すると、キリスト教も仏教という「予定説」「因果説」で対立するのものも、「空」を設定しておけば両立できます。

資本主義、目的合理というのは、カルヴァン派の予定説のプロテスタンティズムの精神から躍進したように、上に「神」(有)を設定しているのが前提です。

中世のキリスト教カトリックではこの「有」=神から下の概念が、まだ構造化されておらず、神=絶対でした。

そして、資本主義の根幹であるプロテスタンティズムから、「所有権」や「ヨコの契約」(タテの契約を神との契約、それに基づいた人同士の契約をヨコの契約)など、「権利」「財産」なども「有」という前提で、神をトップにしておくことで構造的に抽象化することで、「絶対」から「相対的」に人が操作できるようになったわけです。

そこから「近代科学」が発展していきます。
神(数学の点)という絶対存在をベースにした上で、人が事象を観察し操作できることです。

しかし、実はこの近代科学の基礎論理は、仏教ではすでに元からありました。

小室直樹氏の宗教原論の後半で「仏教は近代科学のさきがけであった」という章がありますが、そこで書かれている観察、仮説、相関、因果、機能(因縁)などがそれです。

ただ、ここでの明確な違いは、キリスト教は神=有とするからこそ、資本主義=近代科学の論理が成り立つのに対し、仏教は同じようにブラフマンの存在を説きはするものの「空」なので、「有るといえば有る、無いといえば無い」で個人の認識に任せられるわけです。

苫米地英人 の お釈迦さまの脳科学 釈迦の教えを先端脳科学者はどう解くか?

しかし、これも近代科学の発展によって、1930年代にやっと敬虔なカトリックの数学者(神学者=神=有)のグリムやゲーデルやチャイティンから、「不完全性定理」という形で、数学的(論理的)にも「神の不在証明」が証明されてしまいました。
(これは少し難しいので説明は省略しますが、数学自身が自分自身を否定してしまったという証明です)

更に量子力学では二重スリット実験などを通して、基礎としてハイゼンベルクの「不確定性原理」という形で、現象としても観察されてしまいました。最近だと「超ひも理論」で、素粒子はひもで振動していて、振動していれば有、振動していなければ無、それは観察してみないと確率論的で分からない、という存在論です。

高橋昌一郎 の 理性の限界――不可能性・不確定性・不完全性 (講談社現代新書)

自然科学だけでなく、社会科学でもアロウの「不可能性定理」として成立しています。

この論理は完全に仏教の「空」の考え方と一致します。「有るといえば有る、無いといえば無い」の世界です。

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こうなると困るのはキリスト教の方で、今でも必死にこの流れを封殺しようとしていますが、同時に目的合理性も突き詰めるので、近代科学の発展を進めると同時に自分の宗教論理が崩れていく矛盾に苦しんでいるような現状です。

ただ「空」の考えでは、別に神を「有る」としていても個人の認識に依拠するので何ら問題はないため、その点ではキリスト教も仏教も論理的な整合性が取れてしまうわけです。

このようにキリスト教を突き詰めれば目的合理から資本主義(近代科学)に行き着きますが、更に突き詰めれば「空」に行き着いてしまい、それは元より仏教でも同じということです。

日本では、あまりに宗教に無頓着であるため、科学こそ「有」で、それ以外は「無」という完全に中国共産党と同じ共産主義の考えが学問にも理数系vs文科系という分け方からも分かるように、明らかに入り込んでしまっており、仏教の「空」が理解されにくいようになっています。
欧米では、あまりに「有=神」で、近代科学こそ神への奉仕と、宗教に執着しすぎるがために、最新の発見に対して耐えることができません。

なので小室直樹氏の言うとおり、逆に日本は欧米のキリスト教(特にプロテスタンティズム)に学んだ方が、相対的(本当の意味での科学的)に自分を見れるというわけですね。

これらの自然法の否定から、人定法へと基盤が移り、そこからランダム化比較(ランダムサンプリングからの比較実験)からメタ・アナリシス(メタ分析、メタ解析)という最新近代科学の(もう完全に仏教的な)手法が出てきていますが、また機会があれば解説いたします。

参考文献
中村 元 の 原始仏典 (ちくま学芸文庫)

小室 直樹 の 日本人のための宗教原論―あなたを宗教はどう助けてくれるのか

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