ADHDや自己愛と会話してると
①返答が全て「自分の過去の武勇伝」へ向かう
②「過去の自分が完璧最強」というマウントの結論
この「引力」が凄まじいものがある。典型的。
③結果、誕生の神話化、パパとママの創造神話が語られる
幼少期のままの一人称から脱中心化されてないので「会話が成立しない」
ADHDと自己愛性の違い
ADHDは、武勇伝と誕生秘話で自語りのジャイアンリサイタルが始まってしまい、
自己愛性は、それに加えて他人を馬鹿にする他者卑下が凄まじい。
この発達障害と人格障害の配分の「濃度の濃さ」で「深刻度」が分かれる。
他人の前で自慰するか、他人をDVして自慰するような。キャッチボールが成立しない
この過去への「引力」に気づくのが大切で、幼少期にママに守られて万能を感じていた頃の「承認欲求」を、社会に出ても、他人に対しても求めてしまう。
両親以外にもその欲求を満たしてくれる存在がいて上手く「内在化」できれば良いが
そもそも両親の内在化に失敗していると、原体験がないので難しい。
教養あって成熟した会話とは
逆に、ある程度、教養のある心理的に成熟した人と話しているとディベートの論理とブレインストーミングとKJ法が自然成立する。
①否定しない
②共通点を見つけて共感する
③マウントを取らない
④問題対象に焦点を当てられる
⑤自分と切り離して客観的に話せる
⑥パーセント思考で二分法思考ではない
自己愛性は過去の権威主義と、幼児期の武勇伝に結論が向かう
自己愛性の
「過去の学歴、過去の地位、過去の年収、過去の高級車、過去の不動産」
要するに過去の権威主義に話の結論がゴールしていき、幼児期の武勇伝と誕生神話が語られ続ける
「え?今は何やってるんですか?これから何やりたいんですか?」
の未来への建設的提案がないので会話が成立しない感じ。
例えば「これはリンゴです」と言うだけでも過去の武勇伝からしかリファレンスされないので恐ろしく検索領域が少ない。
「リンゴと言えば知人の知人が◯◯社の社長で」
「私は幼少期でリンゴを熟知しており」
「お前らはそんなことも知らないのか」
とマウントで会話にならない
大体の攻撃性の強いトラブルメーカー
大体の攻撃性の強いトラブルメーカーは、先天的なADHDと、後天的な自己愛性が組み合わさった人になる。本人も生きづらさを感じている。
この知能のADHD成分と、人格の自己愛性は分けて整理すると分かりやすくなる。
・ADHD成分(発達障害)
注意欠落、多動、多弁、二分法思考、映像の先行入力絶対
「みんな私のことを全部知ってて当然」(一人称視点への固着)
(文字列が)「合ってる」と「正しい」の混同
・自己愛性成分(人格障害)
見下し、誇大自己、誇大妄想、二分法思考、自己中絶対
「私以外はみんな何も知らない」
「私が知らないことは何もない」(一人称視点への執着)
「この世は全て自分発祥」
発達障害と自己愛性が混ざったコミュニケーションの欠如とは
B「あっ!りんごです!」
A「そうだね。これはりんごです」
B「はい。知ってます。お前はそんなことも知らないのカー!」
A「?」
こんな感じで、会話が噛み合わない。
映像の先行入力→文字列の整合→全能妄想→他者への見下し(攻撃)
特に
発達障害の「みんな私のことを全部知ってて当然」(一人称視点の固着)
人格障害の「私以外はみんな何も知らない」(一人称視点の執着)
この2つが脳内で矛盾したことやってるので、心理的混乱を常にしている。