社会問題を自己愛アスペルガー的に処理する人が増えている。
すごく違和感を持つ。
発達障害の
「問題ない」
「なぜならすごい技術だから」
「国も認めた」
「この私は大丈夫だから(脱中心化されてない、サンプル数1)」
先行入力が固定。運用上の長期課題や更新性がない。自己愛の永久機関。
こち亀の両津勘吉みたいな典型的な失敗プロセスを踏むので「例のBGM」がずっとかかってる。
すべての全体問題で局所解の処理が起こる
mRNAワクチンにしても、ウクライナ戦争にしても、マイナンバーにしても、
「技術がすごい」
「私は問題ない」
「だからみんな問題ない」
と全体文脈や長期課題を無視して、自己中心的かつ非科学的な三段論法を回すので「??」となってしまう。
どうしても自分「主観」の視点のみで、他人の「客観」視点が想像できないと、「三つ山問題」「サリーとアン課題」で発達特徴的な非論理の言説が出てきてしまう
堀江貴文氏 広末不倫に再言及「僕の周り結婚してる人で不倫してない人あまりいない」一夫一妻制に疑問
「自分は大丈夫」
「なぜならば自分は大丈夫だから」
「技術はすごいから」
「私のフレンドには(頭悪い人は)いない、優秀だから」
という発達障害傾向な主観から抜け出せない「自己愛の無限ループ」の言説をしがちになる。
問題の課題解決にならないので、巻き込むだけで本人だけでなく周りも苦しい。
トロッコ問題どころか三ツ山問題
「トロッコ問題」が来た時に「どちらか選べないのよね」ではなく、
「私は大丈夫」
「トロッコ技術はすごい」
「私のフレンドは優秀だからー」
という幼少期から脱中心化されてない自己中心的な言説が来ると
発達障害的な「三つ山問題」や「サリーとアン課題」の方が解決されない問題が先に来てしまう
mRNAワクチンにしても、ウクライナ戦争にしても、マイナンバーにしても、
「技術がすごい」
「私は問題ない」
「だからみんな問題ない」
と全体文脈や長期課題を無視して、自己中心的かつ非科学的な三段論法を回すので「??」となってしまう。
矛盾する2つのことを同時に言う
「日経平均が歴代最高額」と「財源がない」
「全体主義な中国共産党やロシアを嫌う」と「全体主義で防衛費増税とマイナンバーを推進する」
この2つを言う人は、どうやって脳内で自分の大矛盾を整合させてるのか気になる。
よく言ってて精神分裂しませんね…。
アスペルガー的に自分の先行入力が絶対化するせいで「レモンとビタミンC」が別々の脳内フォルダに入ってしまい、関連付けされず
「レモンとビタミンCは何一つ関係がない」「それはそれ、コレはコレ」になってしまうのか、ニューラルネットワークのノードが形成されないのか。本当に謎に思う。
ワクチンもマイナンバーも原発も、技術の話ではなく政治的な実運用の問題の話をしてるのに、
「いや技術は素晴らしいんだ」という「局所解の罠」から抜けられないまま、権威従属の認知バイアスで「それ言う私もすごい」と自己愛と同一視したアスペルガーのような人のクソデカボイスにかき消されていく
「三ツ山問題」で「自分から見える以外の視点は存在しない」となってしまうと、
マスクもワクチンもマイナンバーも「自分さえ良ければ良い」となって、巡り巡って社会環境的に自分も損する状況に陥ることが想像できないのだろうな、と。
発達障害も精神障害も、一つ一つの記憶のフォルダを明らかにちゃんぽんされてとっ散らかっているのが、客観的に見ていてわかるので、こういうのを可視化していきたい。
プリウス母子殺害もマイナンバーもワクチンもトマホーク殺傷武器税金購入も潜水艦沈没も
「いや技術は素晴らしいから問題ない」と局所解で肯定していく
「明らかに論点がズレてるよ」「そんな話はしてないよ?」とツッコみたくなる。
「会話の違和感」にどうもアスペルガー的なものを感じてしまう。
自己愛性人格障害のように全知全能の誇大自己ゆえに、結果が起こってから「その程度のこと、私は知っていた」が典型的な口癖となる。
途中経過で「全知全能なら教えてください。この先はどうなるんですか?」と聞くと「それはお前の勉強不足だから分からない。私には分かる。」と自分だけは回避する。
コミュニケーションの論理が成立してない違和感
「母子を引き○しても問題ない。プリウスはすごい技術だから。」という謎の論理の時も感じましたが、
この「コミュニケーションの論理が成立してない違和感」は離人や解離より、発達障害と自己愛性人格障害のセットの言動。
なぜか公人批判ではなく、私人批判へ向かわせる。
なぜ外国まで行って議員らしく「公人批判」ではなく、普通に脅迫罪になる「私人批判」をしてしまったのか。
本来、民主主義においてやるべき「暴露」とは、国民の血税を不正に使って自由を奪う「官僚議員の公権力に対して」であり、国民サイドに対してではない。
私人へ個人攻撃はすべきではないですが、
「公共の利害」に及ぼす影響が大きい公人への言及や、政権批判は民主国家において大切なことです。
常に国民サイドに上の権力への監視の目が機能していなければ独裁国家です。