なぜ「コロナは中国の生物兵器」説の人は「ただの風邪」説に変わったのか?

政治経済・近代学問

「コロナはただの風邪説」の人は、当初は「中国の仕掛けたウイルス生物兵器(武漢肺炎)」で論を張っていました。

しかしなぜか自分の身の回りで騒ぎ始めた瞬間に「単なる風邪。ウイルスなど存在しない。」と意見を鞍替えしてフェードアウトしていきました。

なぜこのようなことが起こるのでしょうか?

能力の低い人がやるクルーガー効果

これは認知バイアスの「ダニング・クルーガー効果」の実験とよく似ています。

能力の低い人ほど、自分の能力を高く見積もって周りを過小評価する言動をとることです。

例えば、自分は野球ができないのに他人には「野球程度のこともできないのか」と見下して誹謗中傷することです。

・客観的な視点が欠いている
・原因を外のせいにするので意見が本末転倒になる。
・なので自分の関係ある話になったら負担を減らそうと問題を「大したことない」過小評価する。

自分のことになると急に弱気になる

なので背伸びをしているのです。

いざ自分のことになると虚勢を張ったメッキが急に弱気になります。

問題対象が、対岸の火事のうちは他人のせいにして妄想的に過大評価しますが、自分と関係ある話になった瞬間に過小評価して見下す。

どちらも根拠に乏しいのが神経症的傾向そのものです。

隣のクラスで抜き打ちテストを見て「あれは難しいぞ。ざまあみろ。」と言うのに、
いざ自分のクラスでも実施されることになったら「こんなの簡単だ。大したことない。」と言って赤点取るような心性です。

外部のことは妄想的に見下して、それが自分のことに近づくと過小評価する。

隣のクラスの抜き打ちテストはざまあみろと見下すが、自分も点数は取れない。
対岸の火事は放火やテロの疑いをかけるのに、自分の家の火事にはその疑いはかけない。

自分のことになると等身大以上の妄想から、現実的な等身大以下に縮まります。

なのでなぜ「コロナは中国の生物兵器」説の人は「ただの風邪」説に変わったのです。

論には幅をもたせましょう

極論ではなく、もっと論に幅が取れなかったものかと疑問に思います。

本来議論は、賛成か反対かではなく、その意見に至るまでにどれだけの根拠となるデータを集めたかが重要です。

これを機にディペードの論法についても知っておきましょう。

ディベート議論のトゥーンミンの論理とは?

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