ふと中学生の時、好きだったルネ・マグリットの絵画を思い出した。
今考えると当時の自分は唯物論的で冷めた現実主義者だったから
逆に抽象度の高く具象的で不条理な写実性のシュルレアリスムに無意識に理想が向いていたんだろうなぁと思う。
元々シュルレアリスムはフロイトの精神分析に強い影響を受けている。
無意識も一種の構造主義だから、そんな抽象度の高いものをアートとして具現化するとシュルレアリスムなんだろう。
マルクスとフロイトの「フェティシズム」(フェチ=物象化・物神化・物神崇拝)や「疎外」も「構造主義」も同じ意味。
ナチュラル・ラーがカルヴァン派(のちの長老派)のアダム・スミスの「市場」の神の見えざる手で「予定説」。
市場の物は自分の所有であっても、手から離れれば誰の物か分からなくなる。
その時、感じるのが「疎外」。そしてなぜだか需要と供給が神の予定説の如く調和する。極めて抽象度が高い。
だからシュルレアリスムの絵を見たとき「あーこれが経済学で言う疎外を具象化した絵か。」と分かる人は本物。
申し訳ないが、どうせ日本人はリベラルアーツでない偽教育を受けているので、経済学と美術が結びつくなんて国際水準の論理は99%の人は分からんだろう。
シュルレアリスムは戦争で一度終焉するため、シュルレアリスムの影響を受けた音楽が再開するのは戦後になる。
プーランクの「ナゼルの夜会」やジョン・ケージの「4分33秒」がそうである。
ナゼルの夜会
元々シュルレアリスムは自動書記(オートマティスム)で絵も音楽も小説も「無意識の力」で適当に書くことにある。
ジョン・ケージなどがシュルレアリスムに影響を受けて無意識に任せて偶然的にも出来上がった音楽を「不確定性の音楽」と言う。ジョン・ケージの「4分33秒」を視聴してみよう
ジョン・ケージ「4分33秒」
ジョン・ケージの「4分33秒」は、この時間、黙り続ける音楽である。
wikiにさえも書いていなかったが、これが無意識に任せた「偶然」であり、マルクスとフロイトの「フェティシズム」(フェチ=物象化・物神化・物神崇拝)であり「疎外」であり「構造主義」であり、絵の「シュルレアリスム」だ。
音楽から手放された音楽は、市場に手放された物(例えばお金)のように誰のものか分からなくなる。
その時、感じるのが「疎外」である。
ジョン・ケージはそれを音楽にした。
その構造主義な無意識、その偶然、自動書記こそ、まさにシュルレアリスムなのだ。
カルヴァン派のアダム・スミスは神の見えざる手、すなわち予定調和を市場にも見出した。
それは個人に操作できない。
神が事前に決めて市場を調和させるのだと。
だから個人は取り残されたように「疎外」するしかない。
ジョン・ケージは「易経」や「禅」(鈴木大拙)などの東洋思想の影響の下に、音楽に偶然性の要素を取り入れた。
つまりは4分33秒の「坐禅」である。
それが神の見えざる手(市場の予定調和)からの疎外を感じる。
まさに有(神の存在肯定)と正反対の無(神の存在否定)より上位概念である「空」だ。
ジョン・ケージが意図したのは
シュルレアリスム=疎外=フェティシズム=社会的事実=神の予定調和=構造=無意識=偶然=自動=不確定性原理=不完全性定理=仏教の空。
ジョン・ケージの4分33秒の音楽は、市場に流れたモノである。
視聴者は自らの手から離れたモノは自分の所有であっても誰のモノか分からなくなって「疎外」を感じる。
資本主義の抽象的所有なら尚更である。
それは偶然の中で自動的に調和する。それを音楽にした。
会場で偶発的に起こる音の全てが音楽。
これをジョン・ケージがヒントを得た禅宗の坐禅による「止観」という。
全てをありのままに観察し、洞察して受け入れるというヴィパッサナー瞑想法を苗床にする方法論である。
構造的に無意識に行っていることを意識化させることこそ、まさに超現実主義を写実的に具象するシュルレアリスムだったのだ。
これでフロイトが「自由連想法」を思いついた意味も深く理解できるだろう。
構造=無意識=シュルレアリスム=偶然=自動=フェチ=予定調和=疎外=社会的事実=不完全性=不確定性だからだ。
フロイトのそれをジョン・ケージは4分33秒という止観によってヴィパッサナーな音楽として表現した。
美術・心理学・経済学・社会学・哲学・医学・音楽・社会学・物理学の全てにおいて同じ意味で通る。
小室直樹という方の本に疎外についての解説は詳細に書かれているが、今回それがシュルレアリスムにも繋がるというのは新たな発見でした。
音楽の不確定性と量子論の不確定性原理
更にもっと高度な話を付け加えておこう。「不確定性の音楽」は「不確定性原理」である。
つまりハイゼンベルクの量子力学の不確定性原理、さらにゲーデルとチャイティンの不完全性定理を通して自然数だけでなく数学全般(神学=哲学=論理学)における系において「ランダム(偶然)」になったのだ
この数学全般の不完全性定理で「神は死んだ」ことになる。これは明らかである。
神学(数学=哲学=論理学)において証明されない(答えが一つでない)宇宙なんて無いから。
それが証明できない、そのことすらも証明できないと証明された。
全てが予定調和的な必然ではなく偶然性の中で人間は生きていた。
まさにこれは釈迦の有と無の上位概念である「空」だった。
完全情報とは真逆の方向性である。
それが量子力学の世界で不確定性原理として繋がった。
だから近年の理科学は実験的再現性ではなく理論的整合性を求めるようになった。
元々、理科の実験は不完全帰納法なので、完全ではない。
数学(=神学)全般の不完全性定理において「神が死んだ」ということは、理科実験における存在論として存在が「有る」という前提、それが客観的に何度も実験で再現できるという根底が崩れることを意味する。
だから数学をやる意味(本来は神の存在証明のためのツール)がなくなり、同時に理科で実験するのも不完全だと分かり再現性も意味をなさなくなった。
大切なのは理論的な整合性だとなって、双方がツール化した。
世界中から数学科消え「数理学科」に統合された。これはほんのここ15年程の出来事である。
リベラル・アーツを知らない日本の功罪~理数系という国際的に失笑される分け方~
日本人は「理数系」なんて数学と理科を一緒にするという国際的に本気で失笑されるほどバ力なことをした。
絶対的な神学(数学=哲学=論理学)に対しているのが、
サイエンス(社会科学&自然科学=理科・化学・物理学・医学・生物学・社会学・心理学・経済学)。
全くの正反対。
理科(自然科学・社会科学)自体が、神学(数学=哲学=論理学)に対して不完全であることは前提。
完全帰納法や演繹法は数学的(神学的)な方法で神の存在証明目的。
理科はそもそも神の存在を否定する目的の不完全帰納法。
最初から不完全なのに、理科の実験が絶対と信仰する日本人は特にバ力なのだ。
・・が、何と結果的に、国際的にも対立していた数学と理科を、日本はすでに統合させていたことになる。
これは根底に仏教の「空」の思想があったためかは定かではないが、凄まじい偶然性である。
なのに日本は論理がないのでこのインパクトにも気付かず分からず、リベラルアーツ以下の偽教育である。
国際的に不完全性定理や不確定性原理において理科と数学をやる意味がなくなり互いにツールとして理論的整合性を求めるようになって統合した15年前以前から、日本は理科と数学を統合していたのだ。
ある意味、バ力が転じて先駆していたが、実際はリベラル・アーツを知らないゆえに20年程の周回遅れの状態が、日本の学問・教育である。
不確定性(偶然性)のランダムの疎外と空
話を少し戻すと、不確定性(偶然性)のランダムな音楽こそ、神が死んで予定調和から疎外された状態だった。だからジョン・ケージの音楽は4分33秒の「坐禅」である。
疎外されたでは、ある者は神の調和(有)を感じ、ある者は無を感じる。
束論においてそれらの上位概念こそ仏教の「空」である。
この抽象度が高いシュルレアリスムは、偶然性の自動書記(オートマティスム)を通じてオートマタ(自動人形)の歴史ともリンクする。
これは機能脳科学の入力者のいないニューラルネットワークのアルゴリズム。
内部表現(ブリーフシステム)のファンクションである。
このように経済学=音楽=美術=神学=数学=理学=心理学=量子力学など全ての学問領域は繋がっている。
それはファクト(事実)である。どうせ日本人は理系と文系を分けてしまっているから分からない。
諸外国と20年差の周回遅れだ。このような世界基準でのリベラルアーツで学問を見るべきだ。
ベートーベンの第九第3楽章は歓喜の歌の前の自然法を伝えたかった
ヴェートーベンの「第九」の第3楽章がある。
これは森での瞑想体験が主とされている。
ベートーヴェンは自分の日記の中で「第3章は森の瞑想体験で思いついた」と書いている。
後に歓喜の歌で自由を求める。それが「自然権」でした。
ヴェートーベンの第九第3楽章の森(自然)での瞑想体験は、歓喜の歌(自由賛歌)で主張したかった自由、元々は自然法(ナチュラル・ラー)から、それが人間の自然権(ナチュラル・ライツ)とも繋がる話だ。
植物の中に黄金比率を見て、森の瞑想体験となった。
ヴェートーベン的に自然法(ラー)や自然権(ライツ)というからには、あくまで黄金比のある森でなくてはならなかった。
ヴェートーベンの第九第3楽章にそんな秘密がある。
みんな、歓喜の歌ばかりに注目するから、第3楽章は聞き流すだろう。
それが森の自然と、自然法(→自然権)を掛けていたわけだ。
リベラルアーツでしか理解出来ない音楽理論。
第9番は当初、交響曲第9番(第1~3楽章)と第10番(第4楽章)、第九の第3楽章はピアノ・ソナタ第8番『悲愴』第2楽章転用だった。
当時、歓喜の歌(及び人間的な感情表現)はキリスト教下で国が厳格に禁じており発表も命がけだった。
第3楽章までは普通に通して、それ以降エイッと命をかけてやっちまった感がまさにベートーヴェンの歓喜の歌。
「本来3楽章までだった」というのがとても頷ける。